名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

強欲な女房だなあ

元禄9年年8月15日。
昼まで薄曇、その後快晴となる。
この朝彦兵のところへ出かけるのは、祭礼のため三の丸あたりが混んでいるので延期する旨の廻場が小頭衆からある。
少し前より岐阜屋で踊りを習う姿は華やかなものであった。
岐阜屋の子の踊りは大小を揃えるのに金子18両かかったと。
申刻(午後3時)から文左衛門は、久兵・政之右・伝兵と勝川へ漁に出かけ、夕暮れまでいる。
ここに炉を設け、鮎を焼き、酒を温める。
亥刻(午後9時)過ぎに帰宅する。
材木町南側成瀬隼人正組細野七左衛門が乱心する。
近年はなはだ病を気にしていた。
昨夜、急に白刃で胸を突こうとしたのを人々が止めたと。
女房は内藤宇平次の妹であった。
この女房は七左衛門が日々貯め置いた金子を残らず盗み取った。
この後、この女房は隼人正組6人衆に訴えて言った。
七左衛門のもらい受けた新田を受け取りたいと。
6人衆が言には、七左衛門には母がおり、これを養わなければならないので無理であると。
特に七左衛門が病死ではないからと。
近頃、浜嶋伴右衛門若党山田惣助という者が留守の隙を見計らって同僚の者を盗み取り、事もあろうに火を放って焼こうとした。
すぐにこれを捕らえて、後に公儀へ渡す。