名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

この時代、火葬と土葬もあります

元禄9年6月29日。
申刻(午後3時)過ぎから雷が轟き、雨が降る。
亥刻(午後9時)、時々稲妻が光り、雨を呼ぶ。
水野作兵衛の弟子は全員矢田へ出かける。
100目の鉄砲(大筒)で50丁の幕を打つ。
文左衛門も出かけるはずであったが、妙超が死んだので出かけず。
巳刻(午前9時)、文左衛門は角右へ出かけ、帰ってから井上権左衛門と矢田へ出かける。
申刻(午後3時)前に帰る。
作兵衛は火事番のため出てこず。
夕暮れ少し前、妙超を教順寺で葬る。
平兵・源右・弾七・武兵・加左・文左衛門・分介が出かける。
服部源兵衛・荒川治部右もやって来る。
死骸は常明寺前の墓所に埋める。
文左衛門は武兵・加左と出かける。
時々稲妻が光り、亥刻(午後9時)には少し雨が降る。