名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-04-03から1日間の記事一覧

6歳なら泣くでしょう

元禄12年2月27日。新規御目見が70人ほどあり。その中には御馬廻西村伊右衛門の子が6歳でいた。御出の前になってはなはだ泣き出し、御目見せずに帰る。柘植彦右衛門が篠嶋へ遠島となる。倅十郎右衛門は改易となる。女房は歩行にて追放となる。後は闕…

品行方正でいろってことですね

元禄12年2月26日。御家中諸士が下々の長屋などに浪人女(行き場のない女性?)を置いて面倒をみているとの噂がある。浪人女のことは先年も言いつけられたことであるがはなはだ不届きである。今後浪人女を置かないようにかたく申し付ける。かつまた近年…

そりゃ当然だ

元禄12年2月25日。この日、山田理右衛門から触がくる。切紙をもって申し入れる。明日26日は霊仙院様御遷牌が行われるので、明日1日は音曲鳴物などは遠慮し、諸事物静かにし、下々に至るまで怪しいことがないようにと御老中から伝えられたので、その…

失敗した上に言い訳がましかったのか

元禄12年2月24日。近頃、野崎幸右衛門が逼塞となる。御供帳にのっていたので代わりの供として桜井内記が急いで江戸へ向かう。幸右衛門は少し前の番の時、一季と同じであった。そこで触のことを聞いたが、忘れて廻状を送らなかった。近頃、津田権之丞が…

12時間も何をしているのやら

元禄12年2月21日。巳(午前9時)過ぎから文左衛門は猶右・文右と稲生へ出かける。土筆などを採り、亥刻(午後9時)に帰る。

殿様の方が額が多い

元禄12年2月7日(ママ)。高岳院で高岳院殿華窓林陽の100年忌法事が行われる。この度の住持は石段を高く築き、碑を置く。大公から銀30枚、公から50枚が高岳院に贈られる。

何でバレなかったの

元禄12年2月12日。近頃、津守様(松平義行)奥様の御家老(御代官)村橋惣左衛門が3000両程引負(使い込み)したので国へと帰される。もうひとりの御家老小出甚兵衛は近頃病死する。こちらには引負はなし。

式典は行わないが貰うものは貰うよ

元禄12年2月11日。切紙で申し入れる。かねてから申していた通り、年頭の御礼はないが、例年の通り太刀目録(献上品目録)は献上のはずであるので、来る13日の朝5ツ(午前8時)から7ツ(午後4時)までの間に城へ持って寄こすように。2月11日。…

これも何をしでかしたのか

元禄12年2月10日。柘植彦右衛門の子が遠山彦左衛門に御預けとなる。妻ならびに召仕には上から番人が附く。食事は五味伝右衛門が用意をする。これは6日のこと。

やっと普通の生活に

元禄12年2月3日。一筆申し入れる。かねてからの穏便については、この日から諸事元通りとお考えだと老中が伝えられたのでその意を得るように。恐惶謹言。2月3日。土屋佐之右衛門。

蕨山は今の東海市

元禄12年2月1日。戌刻(午後7時)、火事だと騒ぎがある。東南に見える蕨山が焼けたのか。

元禄12年2月の天気です

元禄12年2月3日。薄曇。元禄12年2月7日。午8刻(午後0時半)過ぎから雨が降り始め、夜更けに止む。元禄12年2月8日。晴。元禄12年2月10日。曇。亥(午後9時)前から雨が降る。元禄12年2月11日。晴。風が吹く。元禄12年2月14日…

おー、力強い発言だ

元禄12年1月19日。子半(午前0時)過ぎに地震があり、雷のような音がする。水谷九左衛門外の芝原に長さ4尺(1尺は約30センチ)ばかりの札がある。百姓の傘、木履を許すように。町人の天水桶(雨水を貯めた桶)はたいてい蜜柑篭を薦で包んだものだ…

祭礼が行えてよかったのでは

元禄12年1月15日。熱田の祭礼は例年の如く行われる。ただし、印地打ち(石合戦)は行われず。切紙をもって申し入れる。今は穏便のときであるが、さしあたり少々の修理は18日よりやってもよいこととする。その他のことはもちろん前々の通りと心得るよ…

篠島は尾張藩の流刑地でした

元禄12年1月10日。霊仙院様追善で篠嶋(島)の浪人彦坂金蔵・三浦勘之右衛門を再び召し抱える。これで国安堵。13年目のことであった。小川瀬兵衛・牧野勝右衛門はそのまま島に残る。 篠島は昔尾張藩の流刑地でした。

さしずめ炊き出しのようなもの

元禄12年1月4日。この日から橘町裏と巾下新道で7日間施行(施し)が行われる。

元禄12年1月の天気です

元禄12年1月1日。快晴。元禄12年1月2日。快晴。元禄12年1月3日。薄曇。元禄12年1月6日。曇。東風が吹く。巳(午前9時)過ぎると雨が降る。未(午後1時)過ぎると止み、晴れる。元禄12年1月7日。晴。風が吹く。元禄12年1月19日。…