名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

失礼しました、鉄砲って当たらないのですね

元禄8年7月10日。
辰半点(午前8時)過ぎまで激しい雨が降る。
かねてからこの日は矢田で仲間の者が鉄砲を撃つはずであった。
留永兵右衛門殿が来られるはずなので、文左衛門も近所の衆と相談してでかけるつもりであった。
しかし、雨が降っていたので油断していると、辰半刻(午前8時)に源右衛門がやって来て、既に兵右衛門殿は矢田へ到着しているので急いで来るようにと知らせて来た。
又右・甚五兵・分内と連れ立って矢田へ出かけた。
その時大雨となる。
大光(大幸)の百姓の家に兵右衛門殿がおられたので皆で会いに出かけた。
巳半時(午前10時)雨があがった。
矢田の堤へ出ると、兵右衛門殿見物小屋の隣に莚を敷き、仲満が並んでいた。
来ていたのは理太・作左・加左・又右・与右・岡右・文右・次郎兵・猶右・理右・丹六・弾七。
先には久兵と源右衛門がいた。
的は5町(1町は約109メートル)で弾は5つまで。
高野瀬又左弟子の加藤紋左衛門は4つ地面、1つ当たる。
篠岡左源治弟子の小川善兵衛は3つ幕に入り、2つ地面。
高野瀬又左の弟子相原政之右衛門は弾3つを所望し、2つ幕に入り、1つ地面。
10町、15町を打ったのは四宮元右衛門の田嶋義兵衛と鈴木源太兵衛弟子の阿部伝九郎。
未半点(午後2時)、震(西)の方角で雷が3、4度鳴る。
雨も激しく降るが、しばらくして徐々に止む。
そこで仲間は帰る。
兵右殿は日暮れに帰宅する。