名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

あまりのややこしさに頭が混乱

元禄6年1月25日。
この日に油屋六左衛門がやって来て話してくれたことでは、昨晩、角兵衛が私のところへやって来て、それから志賀へ行ったと。
この前、美濃の寺へ行って出家することを望んだが、すぐには許されなかったのでまた帰って来たと。
このことを関平が話したので、これを聞いた角兵衛は恨み関平と話をつけようとしていたと。
あちこちで使い込みをしていてどうしていいかわからず、この騒ぎでうやむやにしようとしたと。
志賀へ源右衛門僕を関右衛門を頼って遣わし、角兵衛こちらに来ているかと尋ねると、こちらには来ていないと返事があった。
本当のことを隠していたのか。
お昼に角兵衛の書置2通を関平が持って来る。
半紙1通は加藤平左衛門が書いたと。
あちこちで使い込みをしていたことが書いてあった。
もう1通は粗筆で、自害するつもりであったが御屋敷のことを憚り、行方をくらますと云々。
書置は長屋の窓から中へ放り込まれていた。
夕暮れに甚助がやって来て、農夫が美濃へ尋ね行くが角兵衛は来なかったと。