名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

うっ、文左衛門さん、自分では対応していない

元禄8年8月22日。
文左衛門の病気は快方に向かう。
夜は曇り、戌半(午後7時)より雨が降る。
辰刻(午前8時)に忠兵がやって来る。
追って弾七もやって来て、忠兵には話をしていないので、定右衛門などはちゃんと話をするべきと言っていると。
昨日までの話では、由助を受け取るはずであったが、既に由助は原又左衛門に奉公する身なので何かと難しいこともある。
そのため請人が来きたらそのまま帰すこととする。
忠兵は覚右のところへ出かける。
平兵・源右などと相談すると、請状にはどんなに悪いことがあっても拙者(請人)に責任があると。
また、気に入らず中途で暇を出す場合は、その者の代わりを用意すると。
切米の返上については仰せの通りにすると。
由助が成敗するほどならば、来る前に成敗するように。
由助にただ暇を取らせたのであれば、今さら相手にすることもないと。
ただ請状に判を押した甚兵衛が責任を負い、金子の面倒をみるようにと。
申刻(午後3時)過ぎに請人を呼び寄せる。
忠兵・源右衛門が文左衛門のところにやって来て、病気の文左衛門に代わりこのことを言い渡す。
もし請状の内容に背くようであればその方を隼人正・国奉行・代官などに報告し、成敗すると。
請人はよくわからないのかぶつぶつと言う。
請状の2通を写し、これを持って親類・庄屋と相談するよう言って帰す。