2022-12-12から1日間の記事一覧
元禄8年3月30日。快晴。久屋町新番衆本多与左衛門は以前から利殖に励んでいた。妻には生活費さえ渡していなかったのでいつも自ら金を工面していた。そのため度々与左衛門の衣類を質に入れていた。近頃調べられそうなので、女房は思い立って与左衛門が番…
元禄8年3月29日。曇。巳刻(午前9時)より雨が降る。午8刻(午後1時前)から日暮れまで大雨となる。深夜になって晴れる。
元禄8年3月27日。快晴。
元禄8年3月26日。明け方から雨が降る。辰半(午前8時)から未半(午前10時)まで大雨となる。その後ゆっくりと晴れだす。文左衛門は源右衛門のところへ宗門一札を持参し、すぐに平兵のところへ向かう。
元禄8年3月25日。快晴。先日、総見寺の堀に4歳ばかりの捨子があり、石で沈めようとしてあった。近頃詳しく調べがあり、明らかになる。御器屋(椀屋)の婦人の仕業で、夫は婦人に暇を取らせて犬山へ行ったと言っていた。夫人は子育てにつかれ、弟子と共…
元禄8年3月24日。曇。巳刻(午前9時)より雨が降る。
元禄8年3月22日。辰半点(午前8時)に地震がある。
元禄8年3月21日。雨が降り、午刻(午前11時)過ぎると止む。また、時々細かい雨が降る。
元禄8年3月27日(20日か)。曇。巳刻(午前9時)過ぎから雨が降る。1晩中雨は降り続く。明け方、由右衛門は門前に人がいて自分を縛りつけようとしていると思い、怯えて着る物を引きかぶって息をひそめていた。しかし、耐えられなくなって東の垣を破…
元禄8年3月18日。明け方から小雨が降る。1日中曇っており、時々雨も降る。
元禄8年3月17日。近頃、田中市左衛門妹は尾池四兵衛のところへ嫁ぐ手はずになっており、先日結納をすませていたが、この妹は召仕の僕と密通し、刺し違えて死んでしまう。表向きは急死とすると。詳しくはわからず。
元禄8年3月16日。快晴。娘の7夜の祝を行う。(中略)産婆には前々から忠兵が1分、文左衛門から500文払うはずであったが、おせうからつやを使いとしてもう少しと言ってきたので忠兵と文左衛門で1貫文ずつ、併せて2貫文用意しておくと、いつの間に…
元禄8年3月15日。朝、細かい雨が降る。辰半時(午前10時)過ぎると雨が止み、曇る。
元禄8年3月14日。夕暮れから曇り、雨が降る。寅2点(午前3時過ぎ)、雷が一鳴り、しばらくしてまた一鳴り。
元禄8年3月13日。晴天。加藤平左と文左衛門は児玉へ行き、操りを見物する。行きは志水から、帰りは片場から。演目は河内通(かわちがい)。札銭40。場銭へり取(ござ)1枚分7分。申2刻(午後3時過ぎ)に帰る。
元禄8年3月12日。垂れ込めた雲が消える。
元禄8年3月11日。申刻(午後3時)過ぎから曇る。1晩中雲が垂れ込め、少し雨が降ることもある。鍋屋町の莨蓿屋(まぐさ、うまごやし)が女房を水野山に連れて行き、刺し殺して自らも腹を切る。終始手際が良かったと。この女は松岡玄与のところで乳母を…
元禄8年3月10日。御慶が安産。
元禄8年3月8日。この日から白林寺で成瀬一岳の法事が行われた。隼人正組は参詣し、鈴木角左衛門は未刻(午後1時)過ぎに仲間と共に帰り、その後座敷へと入った。そして戸を閉じて喉を横に貫いて死んでしまう。家の者はそのことを知らず、日が暮れてから…
元禄8年3月7日。1日中雨が降り、風が吹く。夜亥刻(午後9時)より大雨となり、南の方では雷が鳴る。夜半には雨が止み、風が吹く。文左衛門は平左と児玉へ操りを見物に行くと約束していたが、雨天のため延期する。由右衛門はほぼ正気に戻る。児玉村で操…
元禄8年3月6日。辰半点(午前8時)、由右衛門が帰って来て忠兵へ行くと言い始めた。仔細を尋ねると下の女をやめさせたは私の責任ではないか、その他先日香葛籠を落としたことで迷惑をおかけしたと思うので詫を入れたいと言う。その他にも忠兵と関係のな…
元禄8年3月5日。快晴。夜丑半点(午前2時)、表屋(おもや)の女さつが戸口へやって来て急に文左衛門を呼んだ。文左衛門も驚き、仔細を尋ねると答えて言うには、「先ほどから門の外に人がいて、棒を捧げてたたずんでいる。」文左衛門は由右衛門に提灯を…
元禄8年3月4日。曇。昼過ぎから雨が降り始め、夜になって止む。文左衛門の召仕由右衛門が葛籠(つづら)を持って来た際、畳を担ぎ出る者で込み合っており、葛籠を落とし、少し破れてしまう。御目見衆の青木藤太夫・志村藤助・山村忠左衛門・嶋沢佐平太が…
元禄8年3月2日。晴。
元禄8年3月1日。雨が降る。