名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

生活費も貰えなければ仕方がないだろう

元禄8年3月30日。
快晴。
久屋町新番衆本多与左衛門は以前から利殖に励んでいた。
妻には生活費さえ渡していなかったのでいつも自ら金を工面していた。
そのため度々与左衛門の衣類を質に入れていた。
近頃調べられそうなので、女房は思い立って与左衛門が番に出た留守の間に土蔵の壁に穴をあけ、泥棒が入ったように見せかけた。
与左衛門はこの企てを知らなかったが、密かに伝手を頼って町奉行の同心衆に頼み込んだ。
質屋を調べると薮下の質屋に与左衛門の衣類が入れてあった。
与左の女房が質に入れたのは間違いなく、その上泥棒が入った日よりははるか前に質に入れてあった。
そのため同心衆は調べるも困ってしまい、醜聞が明らかになるのを恐れて秘密にしておいた。
世間では女房がある医者と密通し、引き入れて財宝を盗ませたと。
このため与左衛門も立ち去ったというのは嘘であった。