名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

由右衛門さん、どうしてしまったんだ

元禄8年3月5日。
快晴。
夜丑半点(午前2時)、表屋(おもや)の女さつが戸口へやって来て急に文左衛門を呼んだ。
文左衛門も驚き、仔細を尋ねると答えて言うには、「先ほどから門の外に人がいて、棒を捧げてたたずんでいる。」
文左衛門は由右衛門に提灯を灯させ、門の外を見るが誰もいなかった。
由右衛門が言うには、「亥半時(午後10時)頃から人がいた。壁を2、3度叩くので叱るつけると音がしなくなった。先ほど棒で壁を強く突くので外へ出ると人が東へ逃げ去さった。」
文左衛門はすぐに裏を見廻るなどしてから寝る。
しばらくして表屋で音がするので文左衛門が行くと、由右衛門が風呂敷包みを広間に置いて言い始めた。
僕は無罪である。
それなのに処罰とはあまりに惨い仕打ちである。
この日、文左衛門様は本町中を歩いておられたが、これは僕の顔を人に見せるだったのか。
また又兵衛様へ出かけられたのは、僕を殺すための相談のためでは。
このため明日忠兵衛様が来られるのでは。
先ほどの門の外の人も僕を捕らえにやって来たのでは。
または町中でさらしものにすると噂を流し、それが広まっていると。
僕は鼠色の服を着ているとまた噂になっている。
たった今市右衛門のところへ行って相談したいことがあるので、風呂敷包はここに預けたいと口を細め、腰をかがめ、瞬きもせず話し出す。
乱心のようでどうすることもできなかった。
文左衛門は叱りつけ、まず部屋に入れて寝かしつける。
明け方、由右衛門は行方をくらます。