名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

博奕がらみだったのか

元禄6年9月11日。
曇。
申半時(午後4時)より少し雨が降る。
夜には大雨となる。
富田勘左衛門へ中山伝左衛門が御預けとなる。
南部分太夫へ土屋作太夫が御預けとなる。
これらは御鷹師であった。
石川理左衛門へ矢崎半兵衛が御預けとなる。
これは御歩行であった。
この度の数人の御預けは皆博奕に溺れたため。
皆、後藤喜右衛門と知り合いで、後藤喜右衛門がばらしたため。
渡辺十右衛門への問いかけは、まず博奕を行ったかと。
十右衛門は行ったと答える。
次に大博奕宿を営み、追放となった西伝弥、後藤右衛門を知っているかと。
十右衛門は伝弥は知らないが、喜右衛門は知っていると答える。
次の質問は、家で博奕をしたか。
十右衛門は外へ出るにも親兄弟に憚られるのに、中でなど行うなど思いもよらないと。問いかけた野崎清兵衛はいかにもと納得する。
他の者もこのような取り調べであったか。
世間では十右衛門・雲平は共謀して賭場を行っていたと。