名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

周りの勘違いで話は大きくなってしまった

元禄元年12月17日。
夜、近頃病死した本条勘左衛門妻の兄弟が中将様御納戸で梶川町に住む早川十右衛門のところへ出向き騒ぎをおこす。
発端は勘左衛門妻の持参金のことで、返済の催促があるが残らず返済することは難しいと。
10両ばかりで詫びを入れて済ませないかと家を出るが、それで話がつかなければ帰ってくるなとのことであった。
本条文右衛門に召仕が知らせたところ、文右衛門や甥などが心配して十右衛門宅へ行くと門が閉ざされていた。
ますます不審に思い、門を叩いて勘左衛門はいるかと尋ねたところ、中間が出てきてここにいると答えた。
それならば門を開けろというが開けないので、槍の石突を打ちつけてくぐり戸を開けるた。
中間は急いで屋根の上に上がり助けを求めたので、方々で騒ぎとなり町奉行も知るところとなった。
火事と聞きつけた者もおり、御目付足軽頭も現れた。
勘左衛門は十右衛門とうまく話を進めていたが、この騒ぎを聞いて盗人が入ったと思い、共に出向くと云々。
上手くおさめるのは難しい案件だったが、中間が乱心とのことでおさめる。
(竹腰)龍助同心目付役も家老までこのことを報告する。