名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

筋金入りの博奕打ち

元禄6年8月26日。
外山(あるいは冨田)土体が高木志摩に御預けとなる。
土体ははなはだ博奕に溺れ、我が家に閑室を設け、昼夜博奕宿としていた。
初めて博奕にやって来た者はまず土体に御目通りすると云々。
また土体は初めの名を外山八左衛門で、5人扶持を下されていたが、いつのころからか無断で剃髪し名を改めていた。
それでいて俸禄は八左衛門の名で請け取り、上前をはねていた。
調べでは土体ははなはだ遠目がきき、頭巾をかぶって少し高いところにあがり、賽の目を見通していたと。
賽が転がり止まる前に土体は大声でその目を叫んだと。