名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

少し吐き気がしてきました

元禄5年12月14日。
この日朝五つ(午前8時)過ぎに文左衛門は師の猪飼忠蔵・同忠四郎に従って、星野勘左衛門下屋敷で様物(ためしもの)を見物する。
四つ(午後10時)頃に行き、日暮れ前に帰る。
腹が減って少し困ってしまう。
同門で行ったのは、川口治部平・堀賀孫三郎・千村藤助・加藤伴六・田村新八・石川三四郎・大田紋太郎・蛯江庄左衛門・山内平太夫・村山三郎四郎・芝山定右衛門・飯嶋九左衛門・新番頭渡辺十左衛門・石川助九郎・市部七郎左衛門・五十人頭内藤宇平治・田辺太左衛門など。
様物は胴が3つ。
これは昨日まで広小路にさらされていた惣七・新六・三郎左衛門であった。
首は獄門にかかっていたので胴だけであった。
御道具は御長刀6振、内3振は浅井孫四郎御馬廻が胸のあたりを切り、3体のうち1体を切る。
惣七の胴であった。
内3振は川口治部平が大提灯(太もも)ふたつを落とす。
車(腰のあたり)を切る。
文左衛門も股の肉を切り落とす。