名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-10から1日間の記事一覧

理不尽な

宝永2年11月28日。酉(午後5時)過ぎ、京町通り升屋町で平尾検校の弟子矢尾都という座頭が守屋善六のところに按摩をしに行った帰りに中間らしい者と連れになる。この者が三弦などやるのかと言ったので按摩をやると答えた。按摩は不真面目だと言いいな…

怖いけど見てみたい気もします

宝永2年11月30日。獄門が3つある。内1人は偽金使い、1人は立ち戻った者、ためしもの(様物)も1つあり。

しかし連日の頼母子会

宝永2年11月29日。夕飯後、文左衛門は20両の頼母子会へ出かける。石川瀬左と市川武兵が得る。吸物・酒などが出る。

今回もダメでした

宝永2年11月27日。夕飯後から文左衛門は加兵へ出かける。10両の頼母子で多渡都が得る。吸物・酒などを給う。

バカだなあ

宝永2年11月26日。愛智郡古井村百姓12人が牢に入る。国を追放された者が古井の親戚のところへ戻っていた。金持ちだったので百姓どもが博奕をすすめたところ、反対に百姓が負けてしまった。腹をたて、叩きのめして戻ってきた者であったので叩きのめし…

これはどうやら文左衛門が胴元ですか

宝永2年11月23日。夕飯後文左衛門は15両の頼母子会。

今回も獲得できず

宝永2年11月24日。文左衛門は巳(午前9時)から源太左へ出かける。20両の頼母子会で尾崎義兵衛と関加兵衛が得る。酒などを給う。

節約しようとして火事を出したか

宝永2年11月22日。申(午後3時)頃、文左衛門は勘八へ頼母子に出かける。文左衛門が2両2分10匁を得る。吸物・酒などが出る。丑(午前1時)、巾下上宿ました頭筒井磯右衛門の家が残らず焼失する。深井丸などから取ってきた木の葉から出火する。文…

こりゃ、得してませんか

宝永2年11月21日。恒河分介屋敷が医中澤宗賢に下される。少し前、拝領した巾下の家が火事になり、長屋をひとつ建てて差し上げる。そして替わりに屋敷を拝領する。

今も飲酒しての薬の服用は良くないこと

宝永2年11月18日。水野只助が篠島へ遠島となる。使いは供番沖野一郎右衛門、目付近藤弥五太夫。三宅善八手代若山金右衛門、佐田弾介手代原田伊兵衛が評定所東へ入る。ほかの手代は大方申し開きができる。夜、五味新次左衛門が28で死ぬ。父休岸が死ん…

いったい文左衛門は何をしてるのでしょうかね

宝永2年11月12日。巳(午前9時)から文左衛門は伝太・甚五右・政右と枇杷嶋へ出かける。庄屋甚介のところで鰌(どじょう)汁・鱠・に物あわび等・さはら・焼物などを食べ、酒も飲んで気分もよくなる。甚介は網で鮠をたくさん捕って供応してくれる。甚…

毅然とした女性だな

宝永2年11月11日。申(午後3時)過ぎ、近江守小姓役伊藤清兵衛妹が逐電する。この娘は大田弥兵衛に嫁いで、女の子を1人産んでいた。弥兵衛が乱心した後は女の子とともに兄に世話になっていたが、3年前に愛宕の山伏に嫁いでいた。その前から清兵衛の…

この日は盛りだくさんの出来事

宝永2年11月10日。近頃、桑名町3町目太左衛門が預けられ、詮議がある。これは元々さいとり(才取、米などの仲買)が大津町にあり、今はここに庄屋を泊めていた。代官の手代や百姓などに頼母子を依頼して、太左衛門に今の家を買い求めさせ、ほかの庄屋…

酔っぱらいの青木伯元さんは追放です

宝永2年11月9日。青木伯元と酒手代と米屋平七が追放となる。紋右衛門も城下追放となる。

翌日は但馬守様

宝永2年11月7日。辰刻(午前7時)法事が始まる。但馬様より入仏事・施餓鬼が行われる。

出雲守の母親が松寿院です

宝永2年11月6日。性高院で松寿院様の法事がこの日から明日まで行われる。出雲守様から下行(下賜)仰せ付けられる。午(午前11時)過ぎに始まる。頓写(経を写すこと)は霧山検校による平家琵琶とともに行われる。その後、奥様(奥の方)から入仏事、…

宝永2年11月の天気です

宝永2年11月3日。夜半から雨が降る。宝永2年11月4日。雨が降る。宝永2年11月5日。晴。宝永2年11月6日。暖かい。宝永2年11月7日。曇。辰半(午前8時)から雨が降り出す。亥(午後9時)過ぎに止む。宝永2年11月11日。丑(午前1時…