名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

毅然とした女性だな

宝永2年11月11日。
申(午後3時)過ぎ、近江守小姓役伊藤清兵衛妹が逐電する。
この娘は大田弥兵衛に嫁いで、女の子を1人産んでいた。
弥兵衛が乱心した後は女の子とともに兄に世話になっていたが、3年前に愛宕の山伏に嫁いでいた。
その前から清兵衛のところで盲人のいろ都と関係を持っていた。
このため山伏は離別したが、その時子を孕んでおり、その後男の子を産んだ。
この子は男の子であったので山伏に遣わした。
この女をたよという名であった。
このためいろ都をたよ都と名を改めていた。
翌12日、清兵衛のところから乗物を遣わして迎える。
たよ都の借宅は桜の丁通りひさやかぢや丁の間の北側であった。
女が現れて言うには母・兄・娘を捨てての今の幸せはいいかげんなものではない。
無理に連れて帰ろうとするのであれば覚悟がある。
それは兄のためにも良いことではないと。
たよ都も現れて挨拶し、迎えを帰らせる。
このためその通りのままにする。
清兵衛も気を病んで引き込んでいたが、いつまでも引き込んでいられないので12月13日に番に出る。
この夜。熱田大宮および八劔宮の御生体(みしょうたい、本地仏)を他に遷宮する。
神殿の重葺きが行われるため。
作事奉行は河村丹左衛門が勤める。