名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-08-13から1日間の記事一覧

今と違って地元の事件は地元の者が処理するんだ

元禄16年9月28日。近頃、津守(松平義行)家来矢部幸内がこも僧になり、6、7人連れて大津に泊まっているのをたずねて行く。足軽2人ずつを方々へ向かわせると、これを見て地元の奉行に知らせる。奉行はこれを聞いて加勢しようとしたが、固辞して受け…

やはり殿に比べると葬儀も簡素

元禄16年9月25日。巳(午前9時)から文左衛門は瀬左・加兵と熱田を詣でる。神宮寺の堂などは大方でき上る。夜、隼人正を白林寺に葬る。

これはいつもの穏便の廻状

元禄16年9月21日。廻状がある。中院殿へ加増がまずある。切紙をもって申し入れる。昨20日成瀬隼人正殿が死去された。これから26日まで諸事物静かにするようにと老中が仰せ渡されたので、その意を心得るように。以上。9月21日 高橋文右衛門。両城…

尾張藩付家老成瀬正親死す

元禄16年9月20日。近頃、隼人正の病状が重くなったので橘町の能も中止となる。京から中村延柳という医者がやって来て診るが、薬を止める。因州たっての希望のため1服与え、この朝帰京する。豪華なもてなしで、銀100枚を遣わす。申刻(午後3時)、…

けっこう長いバカンス

元禄16年9月18日。昨夜、忠兵父子が湯治から帰る。森村は大野へ18丁(1丁は約100メートル)あると。

やっと埋葬されました、石川平四郎

元禄16年9月17日。今朝、石川理左衛門のところに仲間内藤浅右衛門を遣わして3日の遠慮仰せ渡しがある。平四郎の死骸は形(刑)部から城の外に葬るようにとのことで、小田井村宝国院に葬る。この日から橘町で勧進能が始まるはずであったが中止となる。…

彦兵衛殿、良い人じゃなないですか

元禄16年9月13日。申刻(午後3時)、文左衛門は近所の仲間と手紙が来たので源右へ出かける。武右も来ていた。彦兵衛殿は仲間のことを心配されていると。口上の覚に2ヶ条ある。身代を慎み、召仕などにも申し付け、ちゃんと暮らしていけるよう与えるよ…

電気もガスもない時代ですから

元禄16年9月11日。文左衛門は桧焚木319本を請け取る。届賃は120文。

倒産の連鎖

文禄16年9月9日。阿知波千五郎の山で男が縊死する。熱田神宮寺の瓦を請け負った瓦師であった。金元(金主)が潰れたので迷惑した者がとても多かった。この瓦師もこのため縊死した。

何をしでかした、でも叱られただけ

元禄16年9月6日。船越安兵衛は肝煎2人と小麦右の家へ出かける。日ごろの不行跡を叱られる。安兵衛はこの日津嶋へ出かけたが、急に呼びに遣わし、夕暮れ頃に現れる。

今のオレオレ詐欺にも通じる手口

元禄16年9月4日。荒川十左衛門の屋敷、知行を差し上げるよう一家の輩に仰せ付けられる。近頃、新番頭三浦義兵衛、同兄西郷十郎左衛門の伯父西郷甚左衛門は三州伊保に住んでいた。その子を庄右衛門といった。近頃、庄右衛門のところから飛脚があった。親…

夏の疲れを癒します

元禄16年9月3日。忠兵父子はこの日智多郡森村へ湯治に出かける。

博奕の石川平四郎

元禄16年9月2日。辰(午前7時)過ぎ、石川平四郎が死ぬ。年は24才。死体は塩漬けにする。理左衛門には知らせはなし。今年は平四郎両親の23年忌にあたっていた。

元禄16年9月の天気です

元禄16年9月6日。曇。未(午後1時)過ぎから雨が降る。夜、ジメジメする。元禄16年9月7日。晴。元禄16年9月8日。昼過ぎから曇る。夕暮れ前に雨が降り始める。夜半過ぎに止み、晴れる。元禄16年9月9日。晴。元禄16年9月12日。曇。辰(…

この2つは8月の出来事でいいと思うのですが

元禄16年8月。善光寺の本尊を阿弥陀寺で開帳する。善光父子の像はもろこし(唐土)の冠に太刀を吊るしている。十王を描き損じたようである。昔からの像であろうか。皇極帝の時代は冠があったのか定かではない。上宮太子の時なのかもはっきりしない。また…

原文は〇に三の文字が文頭にあるんですよ、何ですかね

元禄16年4月16日。東照宮の舞楽で初めて打毬楽というものが行われる。大食(雅楽の調子)で2人で毬杖を携え、中に宝珠形を置いて打つ。正月の子どもの遊びのようで、毬杖の玉を宝珠のようにするのは、これで占うため。