名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

尾張藩付家老成瀬正親死す

元禄16年9月20日。
近頃、隼人正の病状が重くなったので橘町の能も中止となる。
京から中村延柳という医者がやって来て診るが、薬を止める。
因州たっての希望のため1服与え、この朝帰京する。
豪華なもてなしで、銀100枚を遣わす。
申刻(午後3時)、隼人正正親が亡くなる。
64歳。
昼頃に絶命と云々。
少し前、因州が江戸を発つ前に将軍家老が因州を呼ばれて申されたのは、尾張侯は幼少で江戸におり、材木をたくさん要しないので木曽山を差し上げられてはどうか、また千代姫君様へ進められた吉光脇差も差し上げらてはどうかと。
ただし、これは内緒のことで直に所望されたものである。
その時のために事前に話しておくと。
因州が答えたのは、材木はあながち要しないかもしれないが、今となって差し上げると如何なものか、吉光の担当は霊仙院殿のお考えがわからないと云々。
上意ということであれば尾侯も断ることはないだろう。
しかし、この上は参府することはないと云々。
尾張へ戻り、因州はこのことを隼人正に話した。
隼人正はとても喜び、お前の答えは実に家臣として的を得たもので、もう死んだからといって思い残すこともないととても褒められた。
本当かどうかはわからず。
近頃、かまや伝左衛門の酒桶に僕が落ちて死ぬ。
酒に火を入れて桶へ移し、上がって渋紙で包むうちに桶の中に落ちてしまう。
大きな桶で出ることが出来なかった。
人が助け出したが死んでいた。
あるいは、酒桶の出し口から衣の端が見えたので怪しんで梯子をかけて見てみると、僕が死んで日が経っていたと云々。
前から僕が見えなかったので逐電したかと思い、請人に探させていたが、桶の中から死んで出てきたので、金を出して請人に謝る。
近頃、このためかまやは酒を詰めなかった。