名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ずっと熱田のあたりはゴタゴタしている

宝永1年10月17日。
近頃、寺尾内匠の足軽は廃止となり、城代の支配となる。
さし人(差人、相談なく後任となること)となる。
後に同心は津田九郎兵に付く。
弥次右同心は明組となる。
足軽は九郎兵に付く。
近頃、熱田開闔(閉)役大原彦之丞は隠居させられる。
子は平祢宜となる。
諸司役大原主膳は熱田を追われる。
しかしながら子は平祢宜となり熱田に住む。
全員、前の大宮司取り立てたわがままものであった。
少し前、教来寺弥兵衛という本屋が本町蝶屋宗甫の店へやって来て安値で本を売り始める。
それがとても評判となり、聞きつけた京都林和泉の店、伏見屋の店、唐本屋の店、その他に5、6軒が出店してくることとなる。
このため当地の本屋孫介、吉兵衛、六右衛門、伝兵衛などが町奉行に彫親が多くなっては困ると訴えた。
今月2日の寄合で話し合い、3日に申し渡しがある。
10日に弥兵衛は店をたたんで京都へ帰る。
※差人は『下級士族の研究』(新見吉治著)に説明があります。役の後任を決める際は内輪で相談して決めるようですが、そのような手続きをとらずに無理やり後任を決めることみたいです。天下りの後任と説明があります。