名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

妹の頼みは断れないな

元禄6年8月26日。
近頃、松平助之進は改易になった後、京に住んで世倅(長男)を黒谷の寺へ出していた。
これのために尾州の女房に状を遣わし、着物・大小・金子を求めた。
助之進の女房は召仕をしていた。
女房は何とかして人を遣わせようとするが肝心の人がいなかった。
そこで、長者町で酢を売っていた兄の作兵衛に頼み、遣わした。
作兵衛は旅支度をして出発するが、関と亀山の間で日が暮れて暗くなり人通りがなくなってしまった。
この時、何者かが作兵衛を切り殺し、着物・大小・金子を全て奪って逃げ去った。
翌日、土地の者が見つけて3日間さらしたが、どこの国の者かわからず、土に埋め札を立てておいた。
程なくして女房は作兵衛が帰ってこないのを怪しんでいると、何となくこのことを知れていきた。
町の者たちが亀山に行ってわけを話し、死体を掘り出させてみると間違いなく作兵衛であった。
土地の者が言うには、この人には連れがひとりあり、亀山の宿を出るのを皆が見ていたと。
助之進僕の仕業かと。
ほかの話では、助之進が子を刺し殺したと。
自害というのはありえないと。