名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

こりゃ大芝居だなあ

元禄14年11月1日。
具足屋彦十郎には美人の娘がいた。
少し前、京へ行くとますます美人となった。
ところがこの夏あたりから長患いとなった。
何かに心を奪われたようで治す術がなかった。
彦十郎にとってはたったひとりの子で溺愛しており、おろおろと騒ぐこと甚だしかった。
以前手習いに行っていた師匠を呼び、娘の病気は恋わずらいではないか上手く聞き出してほしいと頼んだ。
師はうなずき、百計を案じその気持ちを聞き出した。
17,8になる角前髪(元服前の髪型)代官斎藤庄兵衛の2男を養子にすれば病気は治るとのことであった。
彦十郎はすぐに庄兵衛のところへと出かけ、見知らぬ人であったが会って概略を話した。
庄兵衛は一目見た上でこの押し付けがましい話を不審に思い承諾しなかった。
彦十郎が涙を流しながら着物を脱ぐと下は経帷子(死装束)であった。
そして話を続け、子に先立たれるようでは本当に生きている価値もない。
いますぐ法花寺へ行って自殺すると言った。
庄兵衛はこれにいたく感激し、ともに涙を流しながら話をした。
あまりに性急、突然なことで応じることできないが、私の親類の何の某を通して結婚の話をしてはどうかと。
彦十郎はひれ伏して家へと帰った。
そして、早速先ほどのお礼と大金持ちの彦十郎は金子100両を遣わした。
そして、言い合わた通りに話は進み、先月は月が良くなかったのでこの日娘のところへ庄兵衛2男を迎え、結婚の運びとなった。
彦十郎は跡を継がせるはずであった。