元禄5年12月26日。
夜、野崎主税組三沢半左衛門が児(小)嶋左内という浪人を切って逃げ去る。
半左衛門の住まいは弥五右衛門の家から北の西側も鍛治屋町広小路の広瀬兵太夫の屋敷であった。
佐内は生まれながらの悪人で博打打ちであった。
今年も70両ほど負けていたと。
左内の親は小嶋猪右衛門といい御馬乗同心であったが、今は謝金をしながら生活していた。
佐内は弟の団四郎とは行いの悪さから絶縁状態と。
昨年、弥五左衛門に金10両を借りたが返しもしなかった。
それでも左内は生活できなくなり、これ幸いとまた金を無心するが相手にされなかった。
左内は腹を立てて弥五左衛門に後で行くので話をつけたいとの手紙を送りつけた。
黄昏時に左内ひとりで弥五左衛門を訪ね、玄関を開けるが中には入らなかった。
そして弥五左衛門が出てくるところを急に切りつけると、弥五左衛門は肘に少し傷を負いながら応戦した。
弥五左衛門は弟の百郎と共に戦い、終には左内を切り殺す。
左内の刀は刃がこぼれてしまっていたと。
左内は随分と貧しかったようで、褌は古く、下着も汚かったと。
百郎も腰のくびれあたりを少し切られたと。