名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

公金横領で闇金融

宝永4年8月15日。
未(午後1時)過ぎから文左衛門は政右・市兵と月見のため味鋺へ向かう。
その途中で安栄寺で酒や食べものを頂く。
味鋺では鮠を釣り、汁を煮て茶を飲み、酒や肴で大いに楽しむ。
亥(午後9時)過ぎに帰宅する。
金左衛門は前職の時かなりの借金があった。
この度上ケ松の収支を調べると金1416両3分13匁不足していた。
このため山崎源兵衛のところからこのことを問い詰めるが、金左衛門は留守だとかいろいろごまかし調べがすすまなかった。
このため源兵衛のところからこの金額を書いて金左衛門の一家に遣わした。
金左衛門は細井義平の聟で、義平の子竜崎伝七のところに入聟となっていた。
源兵衛はこの者と五十人目付と時の仲間だといい、金左衛門とも縁類だったのでここへ書付を遣わした。
返事があり次第知らせると云々。
一家で相談したけれど多額でどうすることもできないなどと返事があったことを知らせた。
金左衛門は日頃からわがままで博奕好きであった。
自分の借金はもちろん、その他歴々の役人などこの金を借りた者もとても多かったと云々。
津田九郎兵・都筑弥兵なども金を借りていた。
その他にも大村源兵・小川六太夫なども金を借りていたが、大騒ぎとなったので急いで返済したと云々。
1400両あまりは金左衛門1人での借金ではないと。
成田内左衛門と佐藤弥次左衛門両人に金左衛門を預ける。
しかし、両人だけでは守りがたいので願いにより家中で守る。
金左衛門には男の子がいたが、今の妻の産んだ子ではなかった。