名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

輿入れも大変だ

宝永4年4月2日。
この度、但馬様(松平友著)へ生(イク)姫様が輿入れ。
江戸へ向かうためお迎えは京都へ馬廻戸田孫兵衛・鳥居五兵衛、江戸へは深沢新平・増田六郎兵衛。
医者は京都へは住山仙庵・外科の本多林左衛門、江戸へは太田道周・並河芳設。
五十人衆両人の小田切庄右衛門・林惣左衛門が京都から江戸までの木曽路で札を掛ける。
歩行時田源兵衛・松田才兵衛・水谷半内・鳥居市兵衛・前嶋五兵衛・早川長左衛門の6人が京都から清須まで供をする。
足軽80人、他にも中間などを雇われる。
このこと今日仰せ付けられる。
清須から木曽路、江戸までの歩行も6人。
野原弾平・山田才右衛門・岡本治部右衛門・井上定平・安井助十郎・左右田勘六。