名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2人ともひどい奴だなあ

元禄9年12月22日。
井野口六郎左衛門組熊沢丹左衛門が改易となる。
3ヶ国出入り禁止。
妹婿浜嶋林右衛門・従兄弟岡八郎右衛門らは3日ほど遠慮となり、家に引き込む。
丹左衛門については少し前から閉門だ、改易だと散々噂されており、終にはこの如く。
御金奉行の話では、評定場で丹左衛門の噂があったと。
誰が見ても慎ましやかな生活ではなかった。
以前、名古屋ひさや(久屋)町に後家がおり、この娘は美人であった。
昨年、丹左衛門はこの娘を滝川彦左衛門へ世話をすると言って娘を自分のところへ呼び寄せて犯した。
そして彦左衛門に奉公させた。
軒栄が死んだ後は家へと帰し、丹左衛門が面倒をみていた。
そこへ隠れて通っては母と共に犯すと。
この娘は淫女だったのでこの度牢に入り、このことを白状した。
また、丹左衛門の妻は小川瀬兵の娘で竹腰紋太夫の娘分にして嫁いできていた。
とても風流な者で夫の姉と共に狂言・操りを見物に行き、その姿は人の目を引いていた。
柿羽織がこれを届け出ると。
竹腰筑後守家来新野浅右衛門の弟が改易となる。
あるところに座頭の娘がおり、美人で人目を引いていた。
浅右衛門の弟は自分の弟分に鈴木勘六御内証に御奉公する者がいるので、これを伝手に二之丸への御奉公を世話してやると言って先ず自分の屋敷に呼び寄せ手籠めにした。
座頭は二之丸へすぐにでも娘が奉公にあがれると喜んで、多くの人にこの話をした。
これが役人の耳に入った。
どこの国の者ともわからない者がやって来て浅右衛門に話をした。
お宅では二之丸へ伝手があり、御奉公を世話してもらえると承った。
ひとり娘がいるので世話をしてもらいたいと言うと、浅右衛門は承知せず、今までそのようなことをしたことはないと言った。
その者は座頭の娘の世話をしたのでは言うと、浅右衛門はそんなことは知らないと言ったので、その者は帰った。
その後、殿の御中間か押の者がやって来て、座頭の娘の世話したようだが本当のことかと尋ねた。
浅右衛門弟は知らないと答えた。
御中間はあなたが自筆で座頭への状を遣わしたのは明白であると言った。
浅右衛門弟が言うにはそれは知らないし、嘘だと。
筆で何か書くので照合してみろと強く言ったので御中間は帰った。
このこと放っておけないので浅右衛門は筑後守に報告する。
すぐに弟をどこにも出かけさせるなと。
詮議あるかもしれないと言っているうちに事が露見し、改易申し付けられると。
鈴木勘六は二之丸御内証に奉公していたが、御暇を下される。
この者は浅右衛門の若衆であった。