名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-01-25から1日間の記事一覧

女性をあっせんしたか

元禄9年12月12日。明け方、五十人目付山村水右衛門・小川六太夫右の2人が新野浅右衛門のところへやって来て、浅右衛門嫡三之右衛門に会って話をする。先月20日、武田三益の講釈の場で鈴木勘六が話したようで、三輪都という座頭に17、8から30ま…

池の魚を獲ったとか

元禄9年10月12日。夜、沖村の祢宜栗木清太夫が百姓3人に傷を負わせる。百姓は怒って清太夫の家に乱入し、諸道具・衣服ならびに戸障子までを踏み潰す。清太夫の家の者は全員逃げ出す。清太夫は夜のうちに小笠原三郎右のところへ行き、いろいろと話をす…

悪人なら殺していいってか

元禄9年11月10日。味鏡(鋺)で女の盗人を叩き殺す。この女は本条村の女で不届きも多く、1ヶ所に住みつけない者であったと。その程度のこととする。

最後の豪遊

元禄9年10月30日。勘解由小路様衆元右衛門こと堀忠右衛門夫婦が自殺する。亀井道場芝居に大勢連れて行き、役者どもの楽屋へ弁当を遣わせる。覚悟の上。

これも恨みか、それとも恋愛か

元禄9年9月19日。八木清兵衛召仕前髪(元服前)草履取りを同僚の男が突き殺す。そして自分も自殺する。孝受寺(光寿寺)はいろいろと悪事があるようなので、寺社奉行から退院(住職を辞し隠居)するよう申し渡される。本妻があるにも関わらず津田九郎右…

不意打ちとは卑怯な

元禄9年8月19日。巾下海福寺前で、志水甲斐家来で子息の守役関市郎兵衛の番帰りを、甲斐家来近藤弥四郎が待ち伏せし、頭と小袈裟に2度切りつける。市郎兵衛は海福寺の中で倒れて死んでしまう。弥四郎は行方をくらます。

これも辛い出来事

元禄9年6月15日。鍋屋町裏、東漸寺地子を借りていた者が自殺する。女房は17日に自殺する。困窮のためと。

もしかして恋愛

元禄9年5月24、5日頃。定光寺で修行する2人が何も持たずに逐電する。龍泉寺で支度をし、鼻紙などを所望し、鹿田村へ行ったと云々。1人の僧は、24、5。もう1人の僧は、12ばかり。

無視かよ

元禄9年5月9日頃のこと。求女様に貸し出されていた古組湯浅銀太夫が仲間落合弥五右衛門に馬場に出てこいとの果状を送りつける。どこの馬場とは書かれていなかったし、その上断りもなしに門から外へ出たと云々。そのうち川澄三郎右などがこれを聞きつけ、…

今で言う置き引き

元禄9年4月下旬。幡野西庵が法花寺へ行き、門のところに乗物を置いた。すると中にあった薬箱が盗まれたと。6尺(駕籠かき)が庫裡へ入ったすきに盗まれたと。6尺が盗人の行方を尋ねるがわからなかった。西庵は、法花寺の6尺で帰宅した。後に知ったとこ…

中間の父も辛いなあ

元禄9年4月13日。六郎様中間の家に足軽が参上すると切り殺される。中間の父は80あまりの老人だったので、これはいたわり立ち退かす。中間には番が付き、18日に成敗御となる。

摂州様はなかなかの人物

元禄9年2月。少し前、寺尾弥右衛門嫡竹右衛門が自害しようするのを押しとどめ、摂州様(松平義行)に届け出る。若い者なので見境も無くなったか、先ず養生するように仰せになると。

仲良くできないのでしょうか

元禄9年12月13日。甚目寺内比丘尼日新が杉浦能登路・榊原善兵衛に御預けとなる。日新は安倍道半の娘であった。争いごとのため。この後、親類たちの願いによりせべ(瀬部)村へ蟄居となる。その後、死んでしまう。この争いは3年前からあった。甚目寺中…

文左衛門さん、これはうれしい

元禄9年12月30日。近頃、大殿様御広間坊主が御納戸金を盗み、成敗言い渡される。この秋から毎年橘町の芝居が行われるはず。これは秋芝居を願い出たところ、毎年一度願い出るようにとのことであったので願い直す。

12月28日の天気です

元禄9年12月28日。快晴。

昔も禁煙場所があったんだ

元禄9年12月27日。雪が降る。巳刻(午前9時)過ぎると止み、曇る。この夜、触状がある。ただし、御目付の言渡しを彦兵衛が忘れないよう書き留め、組へ廻されたもの。一 御下屋敷表御門前の町屋の境にこの度木戸を言い渡される。御下屋敷へ参上する者で…

なぜ戻ってきた

元禄9年12月26日。雪が降り、昨夜から1寸(1寸は約3センチ)ほど積もる。辰刻(午前7時)には止み、それから晴れたり曇ったり。夜には雪が降る。堀川通りで榑木(材木)を盗んだ久兵衛・勘兵衛共に晒首、獄門となる。勘兵衛は初め御国を追放された…

その差はなぜ、心の入れ替え方か

元禄9年12月25日。夜、雪が降る。牢に入っていた淫女らが追放となる。中には何事もなく許された者もあった。

12月23日の天気です

元禄9年12月23日。明け方から雨が降り出しジメジメする。夕暮れに止む。夜は晴れる。

2人ともひどい奴だなあ

元禄9年12月22日。井野口六郎左衛門組熊沢丹左衛門が改易となる。3ヶ国出入り禁止。妹婿浜嶋林右衛門・従兄弟岡八郎右衛門らは3日ほど遠慮となり、家に引き込む。丹左衛門については少し前から閉門だ、改易だと散々噂されており、終にはこの如く。御…

年末らしい

元禄9年12月21日。快晴。文左衛門の家の煤焙を掃除する。

12月20日の天気です

元禄9年12月20日。申刻(午後3時)から夜になり、風が激しく吹く。

12月18日の天気です

元禄9年12月18日。雨が降る。

大事には至らなかった

元禄9年12月17日。覚右衛門のところからの帰りの亥刻(午後9時)、橦木町と飯田町の間の西側の家から煙が上がっており、燃えるにおいもする。近所の町人ら4、5人が戸を叩いてこれを知らせる。

間違った考えを言われても生きるため

元禄9年12月16日。曇。文左衛門は松井十兵衛頼母子に御なへ金(出資金)3分を入れる。これで半口分で、忠兵と合わせて1口分となる。近頃、淫女(みだらなことをする女)が多く牢に入る。間違った考えを問いただす。

確かに持って帰ればそれだけ金がかかる

元禄9年12月14日。仲間が口米を上納する。海部伝右衛門と山崎甚右衛門の米が昼前にお蔵にようやく運ばれてくる。御蔵奉行などは受け取りを先延ばしにしたいためこの日は受け取らないと言うが、いろいろとわけを述べて納める。甚右衛門はけちで、日用も…

12月12日の天気です

元禄9年12月12日。朝の間雪が降るが、しばらくして止む。その後曇る。

今の研修のようなもの

元禄9年12月10日。寒さが厳しい。少し前から成瀬隼人正組子息・兄弟・御目見の輩は交代で毎日参上し、頭に挨拶をした上で1時(1時は約2時間)程待機してから帰っていた。これは頭が見知るため、かつ礼を習わせるためであった。他の組にも広がり、大…

筆まめだからこういう仕事をよく頼まれる文左衛門さん

元禄9年12月8日。夜、文左衛門は七内のところへ出かける。江戸への状を頼まれて書き記す。

萱場なら近いのに

元禄9年12月6日。亥刻(午後9時)、萱葉(萱場)池の側、裏屋の小屋が焼け、騒ぎとなる。文左衛門は知らず。