名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

口達者は才能ですね

宝永3年3月25日。
平尾伴太夫は申し開きができて許され、前のとおり扶持方を下される。
しかし少し前、伴太夫の女房を呼び寄せて詮議があった。
諸士の女房を揚屋へ呼ぶのは初めてのことであった。
役人は問いかけた。
美しい服を着用し、時には僕も連れずにあちこちへ出かけている。
その様子はとても華美なのはどういうことか。
太夫が答えた。
自分は小身だから供をつけることもできない。
衣服は昔こしらえた衣服で目立つけれど、貧乏で作り直しこともできないのでそのまま着ている。
かつ持病があり、治療のためあちこちへ出かけている。
忍び歩くのでかえって衣服が粗末であれば人に軽んじられるのでこの如くと云々。
また役人が問いかけた。
外出している時、客が多くやって来て妻がもてなしているのはいかがか。
太夫は答えた。
自分は貧乏であるが三弦・音曲を好む。
近隣の者がたくさん友として集まるので昼夜客がある。
とても仲が良いので自分が出かけていても家に入って自分の帰りを待っている。
また役人が問いかける。
妻をよそへ遣わして、舞曲などしているのはどういうことか。
太夫は答える。
自分は貧乏で困っているので妻が舞曲で助けてくれていると。
歴々の衆に遣わすことが多いと云々。
石川兵庫殿へも度々妻が行って舞曲している。
その他にもたくさんあるが、悪業が露見した者が許されるどういうことだろうか。
系図略)
様(ため)し物が2人ある。
盗みを働いた者と立ち返った者。
胴をひと切、隼人正が貰う。

去年から嫌疑のかかった桑名町米屋太左衛門・牧野村庄屋庄右衛門が追放となる。今月21日。