名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

女房の話が本当なら知能犯

宝永2年5月5日。
昼頃、巾下米屋平七のところへ酒手代1人がやって来たので酒を出してもてなす。
しばらくすると巾下の医者青木伯元がやって来て手代と仲良くなり、一緒に酒を飲む。伯元は盃を手代に渡すが、手代はこれを断るとはなはだ無理強いをする。
また1杯飲んで盃を渡すが、手代は飲まなかった。
伯元が言うにはなぜお手前は断るのだと。
手代が言うには、初めて会ったのにお手前とはどういうことだと。
伯元が言うにはお手前という字を書いてみろ、悪いことかと。
その間に、亭主は酒手代のもてなしを邪魔されたのを不快に思い、伯元に向かってお手前はいつも酒に酔ってどうしようもない奴だと口論となる。
そのうち酒手代の家は近所だったので、この口論を聞いた女房がやって来て、急用があると酒手代を連れて帰る。
この後、平七と伯元がつかみ合いとなり、踏み倒された伯元は困ってしまう。
その時、隣の葺師紋右衛門がやって来て平七を取り押さえると、伯元は短刀で平七を切り、走り出して藺(いぐさ)畠へ駆け入り、自害する。
しかし、自害し損ねて死ぬことはなく、平七の死ぬような傷ではなかった。
酒手代は申し開きをする。
平七の女房が言うには、伯元に恨みはない。
紋右衛門とは長らくいざこざがあり、今度も取り押さえるふりをしてわざと平七を捕らえ、伯元に切らせたと。
このため紋右衛門は所(居所)へ預けられる。