名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-04-07から1日間の記事一覧

何といっても初代藩主ですから

元禄12年4月29日。触がある。一筆申し入れる。源敬様(義直)50回御忌御法事が建中寺において来る1日から7日まで行う旨を両殿様から仰せ付けられる。寺へは各詰めるようにとのお考えである。支配衆も代わる代わる詰めるようにと申し渡される。かつ…

まずは親に会うことが先決だった

元禄12年4月18日。内藤浅右衛門支配人甚六という者が親の病気のため在所の美濃へ出かける。その際、近道だからと大藪というところを通ると、家々から人が出てきて、道でもないところを通り、田畠を踏み荒らしたと言ってきた。甚六が自分だけではなく、…

酒に酔って何をしているのか

元禄12年4月17日、祭礼は7ツ(午前4時?)頃に渡る(始まる)。帰路には日が暮れる。御目付は小川惣左衛門・日下部弁右衛門・足軽頭馬場三右衛門・長屋六右衛門。文左衛門は段之右衛門・円右・半九・瀬左・只右・元右・藤蔵・須野崎甚之丞とともに1…

説教節も浄瑠璃のような語り物です

元禄12年4月11日。西志賀で説教(説教節)が行われる。あやつり大夫は天満十太夫。

操りに行ってはいないけれどハイキング

元禄12年4月8日。明け方前、文左衛門は源太左・曽右・平四郎・瀬左・半九・彦之丞と入鹿へ出かける。本宮山の嶺に登り、いろいろと目を楽しませる。亥半(午後10時)前に帰る。橘町の操りはこの日で終わる。

元禄12年4月の天気です

元禄12年4月2日。申(午後3時)過ぎから曇る。元禄12年4月3日。快晴。元禄12年4月5日。夜、晴れたり曇ったり。戌半(午後8時)、雪が降るが、すぐに止む。その後、風が吹く。元禄12年4月6日。晴れてはいるが寒い。元禄12年4月8日。快…

一体何者なんだ

元禄12年3月29日。近頃、夏目紋右衛門召仕の男をやって来た者が眉間と眉を切って逃げ去る。軽い傷であった。

のぞき見のあの人

元禄12年3月26日。4・5日前に石臼屋が許される。

道中、いろんな人がおかしな行動をとるもんだ

元禄12年3月14日。7日出立の御書院番金森伝七が川崎の昼休憩で乱心する。若党を切り損じる。魚住勘之右衛門・青山弥市郎が同じく昼休憩中であった。

悲しい話だな

元禄12年3月19日。この夜、高岳院前の武野新五兵衛裏で人が首をくきり、木の上で死んでいた。元は新五兵衛の百姓であった。近頃困窮のあまり借家を追い出され、少し前にここへやって来ていた。この日もやって来て、置いてくれと言ったが聞き入れられず…

食べて大丈夫ですか

元禄10年3月10日。近頃、公の御下屋敷で鰡が上がる。すぐに塩に漬けて江戸に送る。

のぞき見かいな

元禄12年3月6日。石臼屋清左衛門が戸を縛られる。これは盗品を質に取り、売り払ったため。これは嘘であった。出立の際、下屋敷の連子に簾をかけ、中で覗き見る者がいるように見えたため。

品行方正の言いつけは殿の出発にあたっての注意事項だったのか

元禄12年3月5日。公は尾府を出立する。覚。捨子は禁止されているので、わけのある者はそのことを関係するところへ申し出るように前々から言いつけているが、軽き者(身分の低い者)は子を育てることができず、捨子を行っていると聞き及んでいる。これは…

季節も良くなって操りか

元禄12年3月1日。橘町において操り狂言が行われる。太夫は十三郎。女形衣装も許される。

元禄12年3月の天気です

元禄12年3月2日。霜が降り寒い。午(午前11時)過ぎから曇る。夜になって雨が降り、夜中にはジメジメする。元禄12年3月3日。雨。辰(午前7時)午(午前11時)の間は風が吹き、雨が降る。夜は晴れる。元禄12年3月4日。晴。元禄12年3月5…