名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

関係者多数

元禄9年7月27日。
夜、しばらく雨が降る。
午刻(午前11時)、町奉行千村作左衛門同心岡部次郎右衛門が改易となる。
3ヶ国を錮す(閉じ込め)。
相役小塩彦太夫も閉門釘付を仰せ付けられる。
次郎右衛門隣家の町代も追放となる。
他にも追放となった町人があった。
次郎右衛門は怠惰で奢った生活をしており、世倅の盲目の新平をとても寵愛していた。
家には召仕、媚女(こばめ・遊女)が4、5人いたと。
あちこちの町人でこびへつらい出入する者が数多くいた。
次郎右衛門家では1日に酒を1斗(18リットル)呑むと。
また町人のところへも度々出かけ、そこで魚や肉を食い、酒に溺れることが多かった。あるいはもてなしのために浄瑠璃・小唄・三味線を催し、遊女を置いてその欲望を満たしていた。
また巾下あたりにも次郎右衛門の預け女房がいた。
そこには子どもいたとか。
その他悪事を挙げればきりがなかった。
次郎右衛門の借金は1000両にもなると。
巧みに虎の威を借りて金を借り、悪事を行っていた。
何事にも動ぜず、罪から逃げるはずもなかった。
次郎右衛門と悪事をはたらいた町人4家で、戸を縛り青竹で閉ざした。
本町下東側紫屋三郎右衛門、呉服町下東側油売橘屋助九郎、萱屋町東側町代彦右衛門、鍋屋町下南側源兵衛。
8月10日に共に御免となる。
検断手代2人は改易となる。
これは服部吉右衛門、吉田安之右衛門。
町奉行足軽も追放となる。