名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

時代が経てばしきたりも変わる

文政5年4月14日。
曳き初めは雨天のため翌15日となる。
17日、車の曳き出していたところ大雨となり、片端に並べ、猩々は富永の角、弁慶は横井の前に、伝馬町宮町は御園割出しに置く。
朝5半(午前9時)頃延期となり、木綿幕や古幕で曳き戻し、はなはだ見苦しかった。今年、雷の車は五条町正方寺町角に飾り、桑名町の角まで曳き、片端へと向かう。
17日昼頃、大雨大風となり、8時(午後2時)より少し晴れ、8半時(午後3時)には快晴となる。
翌日18日、滞りなく行われる。
この日は曇り、明け方は綿入りでも寒いほどだったが午後は反(単)物でも暑かった。19日、また朝から雨が降る。
18日など精進日には以前は全く何も行われていなかった。
17日が延期されると19日か21日に行われていた。
近年は18日であろうと家康公のことであり、祭礼だけは関係なしであった。
今年大和町の唐人装束が替わる。