名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-03-25から1日間の記事一覧

恐ろしい女房だな、しかしお腹にいた子まで罰せられるのか

文政4年12月2日。厳罰を仰せ付けられた者を記す。じうという女に佐助という夫を殺したわけを尋ねると、生まれつき淫乱で情夫がたくさんいたと。生まれたところについては最後に記すのでここでは略す。佐助は貧乏で季節ごとの衣類などもままならなかった…

占いですかね

文政4年11月11日。この日から本町駒庄で京都天額という者が人相その他いろいろなことを考えたと。

百姓もしたたかだな

昨年冬、肥代の2割値下げしたところ、去年は米の価格が格別安値でこのようにしたにもかかわらず、今年はさほど安値でもないのに同じようにしたいと申し出てきたが、誰も承知しなかったので農方役所へ願い出たと。役所ではお互いよく話し合うようにと言って…

今でもズルズル移動させますよね

文政4年12月。矢場清涼寺地蔵堂を本堂の東へ移し、南向きにする。これまでは西向きであった。

間借していたのか

文政4年12月。御船方の役所が川端の御水主組の北角へ移る。これまでは内田左之吉の屋敷であった。これまでの役所は千賀氏屋敷の北の方を借りて役所としていたが、そこは千賀氏に返したと。

ちっとも当たらなければいくら景品がよくても人は集まらない

文政4年11月24日。熱田大宮司門前で奉納の射的(しゃてき)が行われる。南矢落(南が的)にする。この催主は智多ならびに三河あたりの農商であった。金100疋ずつ持参すれば誰でも参加できた。金の的を射落せば景品金10両を渡された。その他の的に…

経済政策が混乱している

文政4年11月。御触。水野出羽守殿より御城附へ渡された書付の写し。真鍮銭の鋳造を先年差し止められたが、遠国では未だ品切れの場所もあるようなので、かつまたこの度鋳造を仰せ付けられたので、差し支えなく通用させるように。

これはダメでしょう

文政4年10月24日。夜5時(午後8時)過ぎ、巾下新馬場大津土左衛門の長屋が焼失する。御城近くだったので折り重なるように人が集まる。原因は中間が猫火鉢に着物を掛けたままにして外に出かけたため。

参ってもらって金を儲けようってことじゃないか

文政4年9月。金毘羅33所というものが始まる。金毘羅に33所とはどういうことなのか。おかしなことである。一番 宮籏屋町 延命院 二番 灰取町 長栄寺 三番 南飴屋町富士見 良福院 四番 橘町裏 千日寺 五番 日置 観福寺 六番 門前町 七ツ寺 七番 法華寺町…

享保7年に暴風で高潮がありました

文政4年8月20日。法華宗は海で施餓鬼を行う。右ハツ浪50〔100〕回忌につき。

よっぽどひどかったんだろうな

文政4年8月11日。昼夜に渡って御松明方が花火を行う。評判は悪く、御松明方浅野三蔵、瀬田助三郎、徳本弥九郎の悪口はこの如く。浅のさんざん、下手助三郎、ソコ元五九郎。

避雷針もない時代、どんどん落ちます

文政4年8月22日。激しい雷と大雨になる。紙漉町大田桂二へ1つと御深井へ雷1つ落ちる。

それでも撃ったんですか

文政4年8月7日。昼頃から雷が少し鳴り、大雨となる。矢田で車打(射撃)が行われる。御城代中条多膳殿も自身打たれる。この日、枇杷島は8合あまりの水となる。豊場村の川筋は切れたと。

風だけだったようですね

文政4年8月4日。夜6半(午後7時)頃過ぎから強風が吹く。

とち鳩って何、鳩が珍しいか

文政4年8月1日。御城の堀端でとち鳩(土鳩?)を獲る。見物が多く集まる。

明るいものが周りにないから余計よく見えたのだろう

文政4年7月30日夜6(午後6時)過ぎ、光物が西北から東へと飛んで行く。大きさは納豆箱ぐらい。夜4半時(午後11時)、また同じように飛んで行くが大きさは少々小さかった。

一体何があったのか

文政4年7月23日。夜9時(午前0時)過ぎ、伏見町下の突き当りで女が斬られる。女は御園堀切西南角山本の召仕で、男は御園下服部氏の中間。この男千代くら屋で酒を呑み、この突き当りで斬ったと。そこから在所小幡村へ行き、首を吊る。

かなりの被害です

文政4年7月23日。夜6(午後6時)過ぎから雷が激しく鳴り、大雨が降る。雷が落ちた場所はこの通り。成瀬豊前守殿門前に1つ落ちる。隼人正殿裏の松の木の皮がむける。大乗院角力桟敷が崩れる。(雷が落ちたのではなく、雷鳴に驚いたため)児の宮(児子…

半死半生にしたのは松五郎ってことか

元禄4年7月13日。巾下新道に住む志水小八郎殿奴部屋頭を勤める松五郎の子分が松五郎の妾を連れて逃げ去る。西在(名古屋の西)で捕らえて連れてきて、男は首と手足などを縛り、吊り上げて半死半生にする。女は置き去りにされているところを召し捕る。1…

出費がかさむがやっぱり発散できるんでしょうね

文政4年6月1日。巾下祭りの新道下切車が新規に出来上がる。奉公人町入組があり、これを少し曳く。大伝馬町では橋弁慶人形が出来上がる。

御覧になったのは殿か

文政4年5月18日。俄馬がたくさん出る。辰巳矢倉で御覧になる。8半(午後3時)頃、雨が少々降る。

さぞ美しかっただろうな

文政4年5月5日。あつた馬の塔が行われる。籏屋町、高御堂町から本馬1匹ずつ出し、裸馬の数は300程でその装いはとても見事であった。

雷はあの音が怖い

文政4年5月3日。日夜、雨が降らないのに大きな雷が3度、小さな雷が2度鳴る。

弘通とか開帳とか講釈とかお寺もいろいろとやりますなあ

文政4年4月28日。この日から巾下新道法蔵寺で奥州阿弥陀寺礼法24の弘通が行われる。

光友さんの大曽根屋敷のことですね

文政4年4月22日。申半刻(午後4時)過ぎ、隼人正殿大曽根屋敷から火が出て。残らず消失する。この屋敷は松山御殿と言い、瑞公から賜ったものであった。翌朝、道の松に燃え移ったので切り倒したと。

甘露飴の甘露ですが本当に降るんですか

文政4年4月。中旬、尾州あちこちで甘露が降る。

雨天決行

文政4年4月17日。祭礼の日、明け方から少々雨が降ったが、引き(曳き)渡しは行われる。帰りには大雨となり、幕は古幕、もしくは木綿幕を用いたのではなはだ見苦しかった。

これも費用がかかりそうだ

文政4年4月。上畠町の雷車の修理が終わり、幕も交換される。雲形のホリ(彫)物をこの時初めて拵える。

遠い江戸のことだし

文政4年4月10日。陽七郎様(家齋公御40男)が逝去される。祭礼の曳き始めなどには差し支えはなし。

しかし斬ることはないでしょう

文政4年4月1日。江戸から府君(殿)が御城に到着する。御城に差し掛かった頃、かばやき町(蒲焼町)筋本町を東に入った八百屋で口論があり、ある侍が仲介に入ると雑言を吐いたので、やむを得ず刀を抜いて母親の手首を切る。命に別状はなし。