名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-03-25から1日間の記事一覧

このお寺の絵巻があります

文政4年3月8日。この日から17日まで東寺町御堂照遠寺で法会が行われ、大いに賑わう。

春一番か春の嵐か

文政4年3月17日。夜6半時(午後7時)、初雷(立春後初めての雷)、強風・大雨。

これがかの有名な船頭重吉さん

文政4年2月15日。この日から5月までの100日間、笠寺観音で開帳が行われ、大賑わいとなる。見世物も行われる。また5月3日には芝居も始まるが、程なくして中止される。また、半田村の重吉が漂流した異国の品を見せた帳の写しをここの記す。魯西亜国…

ここも1ヶ月間

文政4年3月5日。この日から4月5日まで川名村シンホウ(新豊)寺で丹羽郡龍光寺観音の開帳が行われる。

こちらは1ヶ月間

文政4年3月8日。この日から4月8日まで稲生円福寺で開帳が行われる。

お寺もお金がかかりますね

文政4年3月15日。巾下正覚寺で棟上げが行われる。

ここでは何を見せてくれたのか

文政4年3月20日。この日から新福寺村新福寺で開帳が行われる。

期間が書いてないなあ

文政4年3月25日。この日から禅寺町慈眼院で弁天の開帳が行われる。

へちま薬師ですか

文政4年2月15日。この日から禅寺町光(東)充寺でへチマ(へちま)薬師の開帳が行われる。

これも長い

文政4年2月25日。この日から4月10日まで部田(へた、東郷町)祐福寺で開帳が行われる。

50日間とはかなり長い

文政4年2月27日。この日から50日間、甚目寺で開帳が行われる。たくさんの人が参詣し、芝居や見世物などが行われる。別に詳しく記す。

最近のコロナとは逆で若者から感染

文政4年2月。名古屋、熱田、池鯉鮒(知立)で風邪が大流行する。この風邪にかからなかった者は稀であった。いろいろ話のタネになることも多かった。今年、清寿院で芳沢円之助が汐くみ(汲)の景事(けいごと・舞踊)を行ったが、この円之助は御園町若山東…

初期消火が肝心

文政4年2月17日。夜6時(午後6時)過ぎ、巾下(新馬場西)石井隆庵屋敷から火が出る。直に鎮火する。

少しすると廃れるパターンって胡散臭い

文政3年。辰年の冬頃から城東藤なり村(惣名石仏村)の為右衛門の家に古狐がいたが、為右衛門が預かっていた13歳の娘に憑りつき、良くないことが起こるとか奇怪なことが起こったので役所へ訴え出ると言っていた。相談の上、小さくても祀れば静かになるだ…

結構度胸のすわった詐欺師だな

文政4年1月3日。勝川の船場(船着き場)で前日からブラブラしている者がいた。船頭と仲良くなって言うには、自分は京の者だと。去年の冬に行方をくらました者がおり、おそらくここを通るの待っているなどとよもやま話をしながらここに滞在していた。3日…

正月早々に火事とは

文政4年1月1日。夜6半(午後7時)、古井村光正寺という禅寺から出火するが、類焼はなし。

円光大師って法然のことです

文政3年12月。極楽寺の門に円光大師の石碑が建つ。

そりゃ下から組みますね

文政3年12月。この月から大須の塔で1層目の建設が始まる。

これは大火事

文政3年11月19日。玄海で家400軒ほどが焼失する。

偽金作りは大罪です

文政3年11月18日。2分金をこしらえた者が磔となる。

いよいよ建設が始まります

文政3年11月。大須五重塔の礎石がすわる。

手島先生って誰

文政3年10月15日。この日から5日間、桑名町下福泉寺で手島先生門人が神学を興行(講釈)する。

女の子が舞う方が華やかな気がします

文政3年11月8日。日置顕性寺の門の棟上げが行われ、前夜引っ越しが行われる。児(稚児)音楽が行われ、児は女子であった。男子は素袍(すおう)士ゑぼしを着用し、女子の児の舞は珍しかった。

喪に服しましょう

文政3年10月22日。成瀬浄翁(隼人正正)殿が死去する。26日から3日間は鳴物を禁止する。

この火事は大したことなかったか

文政2年10月17日。成瀬侯中屋敷、七尾天神側で火事がある。

米の値が下がっているんですよね

文政3年。この冬、小便取が同じように頼んできたのは不浄(肥)に代えていた米を2割減らしてほしいとのこと。それでも承知した者はないようだった。(中略)これを役所に願い出たところ当事者同士で決めるようにと指図がある。

こりゃタレント名鑑だ

文政3年。この冬、芸妓評判記2冊物の板本が刷り上がったが、販売中止となったので概要を左に写し置く。この本には細かい批評があり、30、40丁ほどの2冊本である。近頃芸妓と称する酌女が大流行りしており、高貴権門の家からの招請にも必ず芸妓がいな…

それでも大木が倒れるほどの強風

文政3年。このの書付はいつのものかわからないが、去年か今年の事であるので記しておく。一昨日27日の西風で大道寺孫蔵殿屋敷境にあるふた抱えもある松が根から倒れ、小笠原三九郎殿屋敷米蔵だったかを微塵に砕いたと。もう少しで馬屋にも被害があったと…

これはかなりの火事

文政3年9月7日。夜、納屋町で火事がある。西川端の東側伝馬橋より半丁(約109メートル)あまり下の常滑屋から出火し、南側が焼け、本重町の表通り内海屋の蔵でとまる。

いやいやその後の出来事を考えると興味深い考えかも

文政3年7月。この頃、日蓮宗の僧英智院という者が説法を行い、あちこちの寺院を廻って説法する。もっぱら仏道で神道に附会(こじつけて関係づける)する。希代の弁才で講釈師などの《以下欠》