名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

少しすると廃れるパターンって胡散臭い

文政3年。
辰年の冬頃から城東藤なり村(惣名石仏村)の為右衛門の家に古狐がいたが、為右衛門が預かっていた13歳の娘に憑りつき、良くないことが起こるとか奇怪なことが起こったので役所へ訴え出ると言っていた。
相談の上、小さくても祀れば静かになるだろうと仮に祠を建て、皇宮大明神と称したところ、今年の春ごろから夏にかけて老若男女参詣し大繁盛となった。
見物に来る者も多く、駿河町通や前津田面などからも多くの人がやって来た。
不思議と願い事がかなったと。
国君(殿)が放鷹(鷹狩)のついでにここをご覧になる。
この娘に憑りついて話したのは、殿が御出でになった時と600年前に頼朝公が富士の巻狩の時に曽我の五郎八時宗に睨まれた時ほど恐ろしいことはなかったと。
供物は山のようになり、魚や赤飯の類が多かった。
霊に弱い者がこのあたりで悪口を言うと、だまされたと。
このあたりにはかけ茶や(粗末な茶屋)が軒を並べ、さながら市中のようであった。
二の丸女中なども提灯などを奉納し、たびたび参詣もした。
翌年からはさっぱり廃れる。