2023-02-25から1日間の記事一覧
文政3年3月23日。笠寺仁王門の棟上げが行われる。同日、入仏供養が行われる。28日までは法会が行われる。23日は雨が降ったが、おびただしい人出であった。投げ餅の棚を飾り付け、十六羅漢が出来上がり、門の閣上に置く。練りの次第は左に記す。(省…
文政3年3月9日。この日から10日まで広小路庚申堂金毘羅の開眼供養が行われる。
国君(殿)が御放鷹の際、高蔵寺山で奇妙な石を得る。石に水晶の紋があり、水晶の中に金銀の星の形がある。硯にと仰せ付けられ、江戸への御土産する(斉朝公)つもりであったが、これを請け負う職人がいなかった。牧氏(墨仙)が作られると。
文政3年2月22日。七寺木師(朱書「太子」)堂にて聖徳太子1200遠忌が執り行われる。幟・揚張(今のテント)がたくさん立ち、詰め所を構え、幕を打つ。それは見事で、花の盛りであったので人が群れ集まる。去卯年に行うはずであったが、訳あって今年…
文政3年2月。熱田祈年祭が行われる。町々家並で提灯を飾る。今年は大賑わいで、旗屋町には様々な作り物(飾り物)が飾られる。
文政3年1月。あつたはた屋町目林庵が再建する。(田中町の寺を持ってくる)
当春、3日はしか(風疹)が流行る。
文政3年1月17日。夜、わた屋町下方弥三郎組から火が出る。風も強くなかったのに方三町(1町は約100メートル)を焼き、ようやくおさまる。
文政2年12月16日。8ツ時(午後2時)過ぎ、車道御持組(城内門の警備)で火事がある。
文政2年11月28日。亥之刻(午後9時)、尾頭泰雲寺向かいへ火が出る。7軒が焼ける。
文政2年11月28日。この日から初めて雪がたくさん積り、1日中止まず。
米価の下落が続き、家中の者が困っているのでいろいろと御容赦(免除)することがある。それをここに記す。これと関係して小笠原三九郎殿(大寄合特席、大御番頭)が御老衆配下の者たちのことでいろいろと願い出るが、大御番頭の役を解かれることとなる。こ…
文政2年11月30日。水野藤兵衛殿中間が借りた馬に乗っていたところ、北へ向かって走り出し、辻番前で野村良吉の長屋の子を蹴り倒す。子は大けがをするが、助かると。
今年7、8月頃まで(1匁に付)銭118文くらいから120文くらいまでであったが、8月末から段々と値上がりし、11月頃は1匁で103文ほどになった。綿は1両で45、46斤ほど、水(木?)綿は50斤ほどになる。(後略)
此節の米相場は1両で1石5斗6升3合換え。古米白は100文ににつき2升。小売の新米白は100文につき2升7夕(合?)。餅米白は100文につき1升6号この通りの相場の為であるので(諸色)値段を引き下げるようにとの御触がある。11月8日よりう…
文政2年11月10日。この日から二之宮富突(富くじ)が広井八幡で出張興行を行う。毎回大いに賑わう。
文政2年10月21日。光り物が西を飛んでいく。
文政2年10月14日。この日から小湊の貫主が堀川聖運寺で5日間説法がを行う。
文政2年10月5日。清須山王に豊蔵門という神門を建立する。この日は手斧初め。
文政2年10月。南寺町光明寺で徳本行者1周忌が行われる。
文政2年9月28日。東寺町妙蓮寺へ小湊誕生寺日蓮上人尊像が到着する。10月1日から13日まで開帳し、大いに賑わう。
文政2年9月17日。この日から蒲焼町真広寺で甲州杉の御坊御箸杉親鸞聖人尊像幷霊宝を弘通(ぐずう、広める)。
文政2年8月。久屋町1丁目全庵院に金毘羅社を建立する。段々と賑わう。後に秋葉も勧請する(迎える)。
文政2年8月3日。この日から7日の間、福徳村聖徳寺で皇太子(聖徳太子)1200回の開帳が行われる。
文政2年7月28日。東懸所へ大虹梁(こうりょう)の樫〔朱書「ケヤキ」〕(長8間(1間は約2メートル、巾4尺(1尺は約30センチ))を堀川の木場から牽く。昨27日、木曽川から堀川へ到着し、東の河岸に上げ、おにから車(おそらくそり)2両に乗せ…
文政2年9月25日。岸上某(山王裏手代)の妻(とよと云)が出斬打首となる。元々岸上某には先妻の娘(みちと云)がいた。この娘の乳母が妾のようになっていたが(打首の当人)、先妻が死んでからは後妻のようになり、男子を1人産んでからは悪事を企み、…
文政2年8月25日。この日と9月2日に矢田で合図火(のろし)、地雷火(地雷)などあり。
文政2年8月29日。日の出頃から東小屋でまたまた火事がある。
文政2年8月。上旬、高木八郎左衛門殿家来久野屯という者が1両札、5匁札を作り、牢に入る。屯は桑名へ逃げていき、死んでしまったと。その始末をどうしたか分からず。
文政2年8月1日から27日までの間、阿弥陀寺で紀州道成寺本尊の開帳が行われる。縁起(言い伝え)の写。(略)浮屠(僧)の妄説(でたらめな話)は憎むべきもの。