名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-06-18から1日間の記事一覧

欲が出ると道を踏み外す

文政5年2月。本町7丁目道具屋平兵衛宅へやって来た者たち。京都仏光寺通柳馬場田川三朝。釣もの(絹糸で大石を釣る)、石浮(水の上に石を浮かせる)を行う。この他に色々な秘事を伝授する。米1粒片面に百字書、富士の巻狩、唐人六十人の図、いろは四十…

大丈夫だったのだろうか

文政5年2月18日。昼8半時(午後2時)、雷が鳴る。6半時(午後7時)までに大きな雷が清須(四ツ谷)に落ち、庄屋の倅1人が外で雷に打たれたと。

惨い

文政5年閏1月下旬。御園町下正福寺に子供の首が捨ててある。

今でも服役中に入院となるあります、ドラマの受け売りですが

文政5年閏1月28日。前津春日前組屋敷から火が出る。この日は彼岸中であったので人が多かった。付火と。(付火。犯人は女だったが、妊娠中だったので6月に女子を生んでまたまた牢に入る)。

不幸中の幸い

文政5年閏1月25日。夜、稲葉宿山田市三郎の家が残らず焼失する。裏で油を搾っていて火が出たと。家財は残らず持ち出したと。

犯人はどうなった

文政5年閏1月24日。夜、禅寺町で男女を殺し、母に手傷を負わせる。

作法とかはちゃんと勉強しないと

文政5年閏月初め。蛭子町下で作事方日雇い1人が腹を切る。(朱書)正月10日、寺社奉行所で申し渡したこと。広井 浄信寺その方のことは本山参詣のため上京し、先月14日に戻る際の行列で定められたものと違うものを用いたと聞き及んだので懸所に申し出た…

寄付が集まるんですよね

文政5年2月18日。この日から27日まで玉屋町理相寺で聖徳寺の宝物が弘通される。

開帳も弘通も一緒のこと

文政5年4月21日。この日から5月5日まで大津町下法光寺で善光寺勝曼寺宝物が弘通される。

しかし、そこらじゅうで開帳

文政5年2月18日。この日から4月8日まで大高長寿寺の鷲巣正観音が開帳される。

人が集まるならひと儲け

文政5年2月6日。この日から3月27日まで瀬古石山寺の本尊観世音が開帳される。大賑わいで芝居も行われる。

開帳ラッシュ

文政5年2月18日。この日から4月8日まで継鹿尾山八葉蓮台寺の本尊千手観音が開帳される。

1日で3万日の功徳って

文政5年3月6日。この日から15日まで久屋誓願寺で三万日(1日で3万日の功徳)回向が行われる。(朱書)2月2日、貞宗院で薬師が開帳される。

安全管理がなってない

文政5年正月。掛所(新)堂で足場が組まれる。玄関から西へと組み上げ、そこを曲がって北へと組み上げる。この足場の上に車を引き上げる。とても大きなもので周りを一望することが出来る。この足場から河原町の日雇いが落ちて死んでしまう。2月13日には…

地獄に仏とはこのこと

文政5年正月下旬。尾頭橋で江戸の金毘羅参りが羅(薄い織物)を取り出し、しかめ面をしてたら笑う者がいたので怒って喧嘩となる。金毘羅参りの者は怪我をし、お前の家で治療がしたいと言い出したので仕方なく堀川筋を北へ向かい、埋門から入って行った。そ…

特産品の製造

文政5年閏1月。御器所新田の庄屋で和唐紙(わとうし)を漉くことが始める。

昔から切符を偽造する奴はいたんだ

文政5年閏1月17日。故大野彦三郎3回忌の追善能が行われる。先月28日から延期されており、丹羽文吉、諸井源兵衛、大倉六助などは帰ってしまっていた。舞台前の見物場は畠を壊して歴々の子らの桟敷にし、平地はいろはに分け、切手(切符)を渡した。こ…

急に言われてもって感じですか

文政5年閏1月2日。江戸への出立が早まったため出代りがある。

被害はなさそうです

文政5年1月25日。朝5時(午前8時)過ぎ、小さな地震がある。

妙行寺は中村公園のすぐ東隣にあります

文政5年1月7日。大いに雪が降る。(朱書)建中寺文誉上人が代わり目の礼のため江戸へ出かけていたので、相応寺で法会が行われる。(朱書)23日、24日、上中村妙行寺で清正公像が初めて開帳される。6月に肥州熊本から送られていたもの。

かなり離れていたんですかね

文政5年1月6日。西の方で少し火が燃え上がる。

放火じゃないですか

文政5年1月5日。夕6時(午後6時)、東杉村で少し火が燃え上がる。火元の隣に住む後家が長持ちに火を入れていた。直に召し捕らえる。

妄想を見てる、これは危ない

元禄15年5月29日。近頃、近江守組夏目紋右衛門が乱心する。しゆんという妾をとても愛しており、心を病んでしまった。かつて火事から逃げ出す際も心配で、妾を長持に入れ、鏁(錠)をおろしたと。近頃、裏へ北隣の比木伝六を呼び出し、妾がお前のところ…

悪名高き本寿院様

元禄15年5月25日。御屋形で役替えが行われる。平野忠右衛門が加藤甚内の後役で奥番となる。(中略)忠右衛門妻は初め本寿院の使役であった。誠公(綱誠)は国元での好色が公にされなかったので親密であった。本寿院が聞いてきてもうまくはぐらかしてい…

馬を労わってます

元禄15年5月26日。廻文がある。覚。一 馬に荷を載せる場合は馬の様子を見ながら荷の分量を考え、馬が難儀するようであれば軽くするように。ならびに道中において荷の重さは定めと違わないように念を入れ、重い荷は載せないよう。一 病気の馬や怪我した…

この地震の被害はなさそうですね

元禄15年5月23日。未(午後1時)過ぎ、小さな地震がある。

大須観音の馬の頭ですかね

元禄15年5月18日。例年通り、馬の頭が下屋敷へ多く牽かれる。

失踪事件発生

元禄15年5月14日。5、6日前、成瀬隼人正小番役向山久内が僕も連れずに橘町へ出かける。雨もあがったので木履(ぼくり、木で作った履)を捨て、草鞋(わらじ)で熱田の方へ向かうが、その後帰らずと。

不穏な動き

元禄15年5月13日。土水性(五行説で土と水の性を受けた人)の者は有卦(幸運期)は入ると云々。近頃、薩摩と井伊掃部が塩硝・鉛を大量に買い込んでいると。このため当地でも両品がとても値上がりと。掃部は先手役を解かれ、はなはだ立腹していると。家…

考えると凄い量です

元禄15年5月11日。払い下げの小榑438挺を受け取る。惣河戸までは400文。家までの車賃は335文。