名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

そりゃ驚きますよ

文政5年5月6日に江戸を出た書付。
先月下旬ころから相州浦賀海上に異国船が現れたとの知らせがあったので、その対応に浦賀の岬へ松平大和守を、房州に岬へは松平越中守を差し向け、もっぱら海からに備えていたところ、この船先月28日に浦賀に到着したと。
何分言葉も通じず互い理解できなかったが、いずれも軍船ではなく、商船が遭難・漂流したものであり、飲み水を求めて陸の方に近寄ってきたようにも見え、水主・船員は60人で背の高さは7尺(1尺は約30センチ)ほどもあった。
いずれも青い目ではなく、黄色い目でオランダ人のようであったと。
船の大きさはおよそ3000石積ほどに見えた。
船の形は丸いが、真ん丸ではなく小判のようだと。
この船の中に伝馬船5艘が入っていた。
異人2、3人で海上を行き来していた。
そのため相州・房州両国の山は厳重に警戒していた。
見物人が数万人山にあふれていたと。
既にこの様子を見学した深川の船人が石橋手代へ話したことを書きとったもの。