名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-12-17から1日間の記事一覧

場所まで記すとは細かい

宝永3年10月29日。夜、荻野三九郎が火達(こたつ)のあたりで若党を手討ちにする。女色(情事)と。

それほど見たいものなの

宝永3年10月27日。ためし物が3ツある。うち1ツは隼人正天外の屋敷で切る。少し前のためし物の際に見物人が多く、白刃が前後にひらめいてとても危なかったとのこと。老中が聞きつけられ、次からは堅く無用な見物は制限するようにと。町奉行が同心唯四…

これは大事なお宝

宝永3年10月24日。近頃、大光院開山堂忠吉公馬験(ジルシ)直鉾の2字が大分と破損したので伺いがある。旗奉行平岩瀬兵衛のところでこれを繕う。縁を求めて多くの人が見物する。これは関ヶ原の陣に持たせたものである。

お互いに言い分はあるだろうな

宝永3年10月23日。但馬守様(松平友著)目付3人が喧嘩する。但州様田ヶ窪の新宅が出来上がり、来る26日に移徙(引っ越し)することとなっており、役人などでは先立って引っ越す者もあった。目付古参馬医の子で新宅に住む近藤義右衛門という者が仲間…

これも法事のおかげ

宝永3年10月16日。行赦が3人ある。うち1人は少し前に亀尾天神の釜を盗んだせこ(勢子)。2人は町へ立ち戻った者。

本当かなあ

宝永3年10月13日。代官水野文四郎が語ったこと。濃州多芸郡大野村へ江戸から座頭がやって来た。19歳の小座頭でケイシとかいう。いろいろと奇妙なことがある。百姓が刀を出して試してみる。座頭が探って言うには永正介定だと。また脇差を見て藤嶋友重…

神童ですな

宝永3年10月10日。三州岡崎町老岡本兵蔵の子は当年10歳で、名は竹麿という。去年上野の役者が諸国を回った際、竹麿は9歳で漢文を上手く書き、経書そのほか文選などまで声に出して読みあげた。稀に見る才能のため、諸国を回った後で日門様に申し上げ…

また法事ですか

宝永3年10月8日。瑞竜院様の法事のため物静かにとの廻文が来る。15日に文左衛門の仲間は寺に詰めるようにとの廻文が来る。

今でも三河では竜巻がよくある

宝永3年10月6日。辰(午前7時)前、瀬左へ誘われ、鴨・酒などを頂く。その後大曽根へ天目伏せに出かける。未(午後1時)過ぎに帰る。少し前から三州のうち松平主水の領分では竜巻が起こり、強風が吹き、民家を壊すと。

コケちゃいましたではなかった

宝永3年10月5日。この日から七日の朝まで性高院で松寿院様の法事を出雲守様(松平義昌)から仰せ付けられる。公の役人に手助けを頼まれることはなし。7日の朝、公から名代を成瀬修理が勤める。香典20枚、修理はその時転びそうになると。津守様(松平…

これはめでたい話題

宝永3年10月4日。万三郎様の縁組が言いつけられる。同9日に建中寺へ津守様(松平義行)から使いがある。瑞公・泰公へこのことを報告する。

最後が汚いなあ

宝永3年10月3日。五十人目付蘿木定平治は先月28日に名古屋を発ち、三嶋に宿泊していた。この日の明け方に宿を出発する時になってにわかに鑓持ちを切り殺し、若党には刀傷を負わせ、中間を追い回した。定平次はすぐに宿に声をかけて荷物を預け、死人を…

そりゃ楽しいでしょうよ

宝永3年10月1日。辰半(午前8時)から文左衛門は政右・伝太・甚五右と西条村孫三郎のところへ出かける。文右衛門・庄兵衛も一緒に出かける。孫三郎兄山田伊左衛門は先に出かけており、この者が案内をする。夕飯は二汁・三菜。夜食は新そば切。間嶋明眼…

宝永3年10月の天気です

宝永3年10月8日。卯半(午前6時)から雨が降る。戌(午後7時)過ぎに止む。その後晴れる。宝永3年10月9日。晴。宝永3年10月11日。わずかに雨が降る。巳(午前9時)過ぎからジメジメする。申半刻(午後4時)から止む。夜、晴れる。宝永3年…