宝永3年10月23日。
但馬守様(松平友著)目付3人が喧嘩する。
但州様田ヶ窪の新宅が出来上がり、来る26日に移徙(引っ越し)することとなっており、役人などでは先立って引っ越す者もあった。
目付古参馬医の子で新宅に住む近藤義右衛門という者が仲間の戸山借長屋に住む朝比奈林蔵を夕暮れ頃に尋ねたところ留守であった。
戌刻(午後7時)になって林蔵のところで案内なしに2階へ上がり、恨みを述べて伏せていた林蔵に切りつけた。
林蔵は切られて死んだように見えた。
林蔵の家来が起きて声をかけると、食焼(ママ、めしたき?)の僕をたちまち切り殺し、草履取りも腕を切り落とされたので逃げ去った。
近藤は刀をおさめて、のんびりと門から出て行った。
また新宅へ戻り、仲間の七太夫甥の新宅に住む平岩伴太夫の長屋へ行くと、これまた留守であった。
用があると呼びに行かせ、その間に伴の僕に命じて酒を出させ、中椀で1杯呑んだ。
また1杯呑んでいるところへ伴が帰って来た。
留守に酒を勝手に呑んでいたと言い、さて日頃の恨みを知っているかと頭に切りつけようとして、防ごうとあげた右の手とともに頭を横に切るつけて殺し、その死体の上で近藤は自害した。
書置もあった。
近藤の首尾を人は美とする。
朝比奈は切られた時に気を失うが、正気にもどると既に相手はいなくなっており、食焼は切り殺され、僕が腕を切り落とされているのを見て我に返った。
そして羽織を着て自分の傷を隠し、僕にも手を懐に入れさせて、亥の前刻(午後9時)に目付であったので門で何も言われることなく出て行った。
そして立ち退いた。
恨みとは日頃古参の近藤をのけ者にし、伴と林で申し合わせてて近藤をおとしいれようとしたことが度々あった。
特に今度の屋敷を移る際の事では我慢できないことがあったと。