名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

彦坂主膳の処分が決まりました

元禄15年8月21日。
彦坂主膳が江戸より戻る。
彦坂愚入ところへ入り、正月までお預けとなる。
正月には15ヶ国の追放となることを江戸の町奉行宅で言い渡される。
申半(午後4時)、愚入ひとりが評定所へ出かけ、目付近藤小太夫・五十人目付細井権三郎からこれを請け取る。
愚入からは判を押した証文を江戸の町奉行へと出す。
主膳には大小はもちろん、この度拵えた夜着・蒲団、茶、弁当、行灯、提灯、蝋燭の余りまで全て主膳に下される。
愚入の願いは町人の家であったので、平太夫足軽5人ずつ番に来ていたが居場所がなかった。
太夫のところに置きたいと願うと愚入と一緒に引っ越すようにと。
江戸から医師嶋田三休が付いて来ていた。
ほかは全員江戸へ付き添った輩であった。
三休の治療は甚だ効果がないと。
中間らは死ねば三休と呼んでいた。