名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

鼻血なら大病とは思わないわ。

元禄15年12月26日。
彦坂主膳が病死する。
4、5日前、鼻血が大量に出たが、大病とは見えなかったので届けはしなかった。
その死が急に弥兵に伝わり、医者などがやって来る。
翌日検使として大目付松井市右衛門・目付内藤喜左衛門、岡崎善右衛門・五十人目付奥田半内、行方作左衛門がやって来て調べる。
死骸を塩漬けにし江戸の指示を待つ。
翌未正月21日に死骸に疑いはなく、思うようにするようで済ませる。
少し前、大沢無手右衛門が名古屋へ戻る際、挟箱を1つをこはぎ(小脛)に持たせたが逐電してしまう。
中の衣服はなどは取り、挟箱は捨て置く。
中に今日江戸を発つとき他から頼まれた手紙を入れ置いたが、それ手紙が残っていたので無手右衛門の名前がわかり、江戸の長屋へ問屋から遣わす。
近頃、長者町で町人金左衛門が貧困のため自殺する。
呉服町の町人も貧困のため逐電する。