名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-13から1日間の記事一覧

温情ですかね

宝永2年4月30日。但馬守(松平友著)様目付竹田源左衛門が暇を下される。厳罰と仰せつけられたが大目に見られてこのごとくと。

結婚を許されないからといって逐電してはいけない

宝永2年4月29日。近江守馬廻組伊藤林右衛門が逐電する。このため父三郎右衛門に命じて探させる。翌1日、参州御油の幸村で林右衛門弟戸市などが見つけ出す。このため馬上で林右衛門は腹と肘を切って死ぬ。年は34。近江守から目付役橋爪十太夫を検使と…

24日に追放された足軽ですか

宝永2年4月27日。昨年冬下屋敷で喧嘩をした東源内が勢州松坂で自害し損ねる。追放者のため名古屋では相手にせず。

江戸へお帰りですね

宝永2年4月26日。松平壱岐守佐屋海道から熱田に泊まられる。

喧嘩にしては罪が重い

宝永2年4月24日。昨年冬に下屋敷で喧嘩した万五郎様(徳川宗春)足軽ならびに木曽右衛門が追放となる。これより前、佐藤治左衛門若党が城下追放、百姓は3ヶ国追放となる。近頃、知多郡大野村の座頭了仙が召されて江戸へ下る。

こちらも御三家

宝永2年4月23日。紀州中納言様が熱田に泊まられる。昨晩のはずであったが新井が難風(暴風)のこの日となる。木曽路のはずが延びて、東海道となる。

身体の病気は心まで病ませる

宝永2年4月22日。小普請竹野谷弥之右衛門が自殺する。初め大公の衆であった。瘡毒(梅毒)を患い、はなはだそれを憂いていたと。

名古屋一の祭礼ですから東照宮祭は

宝永2年4月17日。巳(午前9時)前、祭礼は例年通り町廻りが行われる。目付は上野小左衛門・高力七左衛門。押え足軽頭岡崎弥兵衛・蜷川善左衛門。

関わりになりたくない気持ちもわかります

宝永2年4月16日。舞楽が例年通り行われる。茶堂林作(ママ)が近頃江戸で逐電する。この夜、駿河府中で自殺し損ねる。板乗物にのせて名古屋へ連れて来る。足軽頭市野辺伊右衛門は名古屋へ戻るので泊りが一緒になる。尾州衆のため府中の役人から林朔(マ…

子の不祥事で逼塞か

宝永2年4月13日。運上奉行同心三上瀬左衛門が自殺する。近頃、西村仁兵衛が倅弁左衛門のことで逼塞する。

それなら最初から大光寺に埋葬すればいいのに

宝永2年4月12日。泰心院様の子真如院実珠玉円の墓は今までは大光寺前住隠居日任の山にあったが、この度日任が亡くなったので、この日大光寺に改葬する。

江戸時代も自殺が多いんです

宝永2年4月7日。昼頃、阿知波加右衛門300石が自殺する。年は61。

一緒には出かけないんですね

宝永2年4月5日。上使松平壱岐守が熱田に止宿(宿泊)する。

高家は典礼を司ります

宝永2年4月4日。高家衆が熱田に止宿。名は前(3月23日の項にあります、酒井雅楽頭、松平壱岐守が上使、織田能登守、戸田中務大輔が高家衆)に見える。

普通上司は幕府から諸大名への使いですが、ここは朝廷でしょうか

宝永2年4月3日。上使酒井雅楽頭が熱田に止宿(宿泊)する。

宝永2年4月の天気です

宝永2年4月1日。雨。辰(午前7時)過ぎから止む。曇るが、時には薄く日が見える。雲は乾(北西)へ流れていく。巳(午前9時)過ぎから雲が立ち込める。時々雨が降る。午半(午後0時)西では大雨で雷も数度鳴る。しばらくして雨が止む。段々と晴れる。…