名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-02-11から1日間の記事一覧

災害続きだと火事はたいしたことないと思えてしまう

宝永4年11月29日。酉半(午後6時)、火事だと。大曽根で少し町屋が燃え上がるが、すぐにおさまる。

年の瀬の入用に備えて連日のように頼母子

宝永4年11月28日。酉半(午後6時)、地震がある。亥(午後9時)前、少し揺れる。文左衛門の家で20両の頼母子会を行う。木村九郎左が得る。4両は瀬左へ落ちる。

日常の生活で精いっぱいってことか

宝永4年11月27日。寅刻(午前3時)、少し地震がある。申(午後3時)過ぎ、文左衛門は瀬左へ出かける。加兵の頼母子のくじをここで行い、平岩伝右が得る。酒・吸物などを頂く。戌(午後7時)過ぎに帰る。瀬左・八郎右・半九・加兵・文左衛門のそれぞ…

この地震は富士山と関係があるのか

宝永4年11月26日。昼前に地震がある。子刻(午後11時)、地震がある。

本当にこんな生活でいいのでしょうか

宝永4年11月25日。巳(午前9時)前、文左衛門は瀬左での頼母子に出かけ、都筑伝左衛門はくじを渡辺八郎右にもらって得る。吸物・酒などを頂く。文左衛門は役料米を理左衛門に売払う。1両で8斗2升4合。買留は3分、1両で8斗4升。

こちらは日常生活

宝永4年11月24日。戌半(午後8時)、地震がある。丑(午前1時)過ぎ、地震がある。文左衛門は源太左へ頼母子会に出かける。酒・吸物などを頂く。20両は朝比奈宇右衛門に落ちる。

富士山大噴火

宝永4年11月23日。戌半(午後8時)、大きな地鳴りがする。夜、少し揺れる。日門様が鳴海に泊まられる。小田原にこの夜佐藤善次右衛門が泊まっていた。1晩中雷が鳴っていたが、この雷というのは地鳴りで本当の雷ではなかった。この音は大きく、地面が…

文左衛門さんは地震と揺れを書き分けてるのだけど違いがあるのか

宝永4年11月22日。亥刻(午後9時)、少し揺れる。寅(午前3時)過ぎ、小さな地震がある。

借金まみれの人でした

宝永4年11月21日。木綿問屋久左衛門が追放となり、親と子は所払いとなる。妻は離別する。

久しぶりの地鳴り

宝永4年11月20日。申半(午後4時)、大きな地鳴りがする。

白状したか

宝永4年11月18日。佐藤金左衛門の最期の詮議が杢右(ママ)のところでの行われ、偽るようであれば町奉行に渡すと云々。このため残らず白状すると云々。

そりゃ爆発でもしたら大変だから

宝永4年11月18日。申(午後3時)頃、頼母子のくじが行われ、源太左と政之右に落ちる。源太左・宇右から1両2分金を出す。これは昨年の親なし頼母子の元金を返すもの。文左衛門と瀬左は2分、加兵・真野都は1分ずつ得る。来年、また1両2分を2人は…

寝ている最中は無防備

宝永4年11月15日。明け方、地鳴りがする。

揺れなくても怖い

宝永4年11月14日。寅刻(午前3時)、地鳴りがする。

まあ早い話が肩たたき

宝永4年11月12日。真鍋茂大夫が病気願いにより役を解かれる。500石の内300石は召し上げとなり、馬廻りとなる。茂大夫は江戸において本寿院様から大分と金を下されていた。お気に入りのため自分では勤めを続けたかったが、表の役人などがこのこと…

こう書きながら、文左衛門は前日は二日酔い

宝永4年11月11日。申半(午後4時)、地震がある。寅刻(午前3時)、地震がある。

これでは不安は消えない

宝永4年11月5日。子半(午前0時)、地鳴りが鳴り響き、少し揺れ、続けざまに2度地鳴りが鳴り響く。

1ヶ月経っても余震はおさまらない

宝永4年11月3日。酉(午後5時)、地鳴りがして地が動く。寅(午前3時)頃、少し揺れる。

宝永4年11月の天気です

宝永4年11月1日。晴。西風が吹く。宝永4年11月2日。晴。朝、屋根の上に霜が薄くおり、氷も薄く張る。寒い。宝永4年11月4日。日が暮れて間もなく、東北の雲の間に激しい稲妻が光る。服部源兵衛は上条へ漁に出かけるが、申(午後3時)頃から東北…