名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

昔は事前に戒名を得ていたのでしょうかね

宝永1年7月27日。
巳刻(午前9時)、久太夫の屋敷を差し上げる。
七内・源兵に渡す。
太夫の昨年からの血脉(系図)には在誉祐西とある。
しかし、相福院の過去帳の裏には祐綱とあるので引導(棺の前で行う経)でも祐綱と言っていた。
しかし、血脉に記されたものを戒名とするべきである。
また綱の字が良いのかとこの日相福院を源右のところへ呼ぶ。
このことを相福院に話して、祐西とする。
高岳院には百ケ日までの法事代金3両、野布施和尚に2朱、僧、道心に1分、槍大小刀受代に2分、相福院へ1分をこの日遣わす。