2024-02-06から1日間の記事一覧
宝永4年10月30日。昼過ぎ、大きな地鳴りが響き渡る。
宝永4年10月29日。夜、1、2度地鳴りがする。
宝永4年10月28日。夜、1、2度地鳴りがする。寅刻(午前3時)、地震がある。近頃、枡屋町の木綿問屋久左衛門がかなり借金をし、江戸へ行って謝ったが許してもらえなかった。その後、江戸の町人が差紙(召喚状)である八判を取り、尾張へ寄こした。こ…
宝永4年10月27日。寅刻(午前3時)、地震がある。
宝永4年10月26日。申半(午後4時)少し揺れる。
宝永4年10月25日。夜が更けて地鳴りがする。
宝永4年10月24日。午(午前11時)前、地震がある。深夜、少し地鳴りがして少し揺れる。実の弟ではないが五大夫の弟山口弁蔵がこの朝逐電する。かねてから弁蔵は五大夫の飯焼女と関係を持っていた。五大夫もまた妻子がありながらこの女と関係を持って…
宝永4年10月23日。酉(午後5時)過ぎ、地震がある。
宝永4年10月22日。文左衛門は下屋敷帰り、ひどく酔っていたので瀬左・平右と共に安井堤から山田へと廻る。堤があちこちで長く裂け、あるいは沈んで潰れるところも多かった。申(午後3時)頃に出発し、家に酉半(午後6時)に帰る。
宝永4年10月20日。卯(午前7時)過ぎ、地震がある。酉(午後5時)頃、大きな地鳴りがする。近頃、兼松善蔵の兄修理が死に、その屋敷を召し上げる。金銀・財宝は残らず妾に取らせる。かなりの金額だったと。この妾は先年大須で修理が見初めて連れ帰って…
宝永4年10月19日。酉半(午後6時)過ぎ地鳴りがする。寅半(午前4時)地震がある。明け方また少し揺れる。
宝永4年10月18日。寅(午前3時)過ぎ、少し地震がある。この日の頃のことか。中間で永らく奉公している佐藤金左衛門僕が東屋敷の揚屋に入る。
宝永4年10月17日。高倉の森から3町(1町は約108メートル)ばかり近所の溜池の中に南寺町梅香院門前の篭作り文七という者を殺して縄をかけてあった。この日見つけ出すと云々。これは高札にあったこと。
宝永4年10月16日。酉半(午後6時)過ぎ地震がある。
宝永4年10月14日。子(午後11時)過ぎ、1度地鳴りがする。夜中に少しずつ1、2度揺れる。
宝永4年10月13日。酉(午後5時)過ぎ、昨日より小さい地震がある。寅(午前3時)過ぎ地震がある。他にも夜中に少しずつ2度ばかり揺れる。
宝永4年10月12日。酉(午後5時)、9日の未(午後1時)過ぎ程度の地震がある。子(午後11時)過ぎ、地鳴りが2、3度し、少しずつ揺れること明け方までに3度ばかりあった。
宝永4年10月11日。寅(午前3時)過ぎ、少しずつ2度揺れる。
宝永4年10月10日。酉(午後5時)過ぎ、とても大きな地鳴りがするが揺れなかった。しばらくして、少し1、2度揺れる。寅(午前3時)過ぎ、少し揺れる。
宝永4年10月9日。時々地鳴りがする。昼前、1,2度揺れる。未(午後1時)過ぎから揺れるが、5日の朝よりは小さいものであった。日が暮れて少し揺れ、丑刻(午前1時)少し揺れる。寅刻(午前3時)過ぎ、大きな地鳴りが聞こえる。
宝永4年10月8日。辰(午前7時)過ぎ、少し揺れる。昼間、地鳴りがすることがあった。丑刻(午前1時)地震がある。それから明け方まで地鳴りが度々あり、揺れるのも4、5度ばかりあった。そのうちの2つは大きなものであった。
宝永4年10月7日。この日朝から揺れはなかった。巳(午前9時)、地鳴りがするが揺れなかった。夜更けに度々地鳴りがするが揺れなかった。ただし少し1、2度揺れた。
宝永4年10月6日。未(午後1時)頃、揺れがある。その他少しずつ小さな揺れが度々ある。夜は少しずつ3,4度揺れる。
宝永4年10月5日。卯の刻(午前5時)からかなり強い地震がある。
宝永4年10月4日。観誉理清の50回忌で文左衛門は昼前に高岳院を詣でる。香奠は200文。以前の廻文で法事の後はのんびりとくつろぐようにとあったので、参詣の者のほかにも鈴木藤入・曲淵源太もやって来ていた。源右衛門・権内・治部右・源兵・勘八・…
宝永4年10月3日。近頃、連日暖かく、特に昨夜から今日にかけてはとても暖かい。袷ではまだ暑い。秋になったが文左衛門は家にいるとき以外はいまだに綿入れを着ていない。少し前から今日まで桃・李・梅・梨・庭桜の花が盛んに咲いている。夜、雲の間がと…