名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

書面があれば何も言えない

宝永1年3月13日。
氷上姉子神社は熱田の宮の別宮で尾張氏代々が祢宜職とし、祭ごとに出かけて祝詞を勤めていた。
最近、大宮司家がわけあって蟄居する。
近頃、氷上の祠官久米伝蔵が訴え出た。
当社は熱田を起源とし、久米氏が代々神事を行ってきた。
しかし、近年大宮司が勝手に熱田の祝師を遣わし、神事を勤めさせている。
昔からのしきたりに反していると数々の罪を述べる。
このため有司(役人)は尾張氏を詰問する。
田嶋丹波はすぐに古証文を出し、氷上祢宜職は代々わが家が司ってきた。
特に尾張寺(守)仲奉の譲状のごとしと云々。
その状には譲り与う諸職のこと。
合。
一 祝師職 当屋敷家等
一 社職給歩 私領その他悉く
一 氷上祢宜職 その他諸職等
当知行分惣領職の事
右代々この重書(重要な書類)を添え、左京亮範和仁一円に譲り渡すのは間違いないことである。
ただし庶子への分配は裁定の上、少しの力添えするように。
このように定めたからには親類などこれを妨げぬように。
後のための譲状はこの通り。
明応6年5月21日 権宮司誌祝師尾張守仲奉 印あり。
譲状にはこのようにあり、久米氏はこれを知らなかった。
1人で社事を司ろうとし、ないことをでっち上げて訴え出ていた。
これも長岡為丸がそそのかしたからだと。
尾張氏は昔小豊命国造となって以来朝廷に仕え、社を構えていたが途絶えていた。
田嶋氏は大宮の神主とは異なる家であった。