名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

究極の純愛

宝永1年3月20日。
酉半(午後6時)前、橦木町加藤三十郎のところで女が首を切られて死んでいた。
文左衛門は翌日これを見る。
下に郡内嶋、上に紫と染め分けた紬茶小紋帯。
首はとてもきれいに切られていた。
女の草履には土がついておらず、近所で履き替えたように見える。
懐には手形が2通あり、佐藤新右衛門と湯浅五介が3両ずつ金を借りた手形で山形半九郎の印があった。
袖裏には焼米2合ばかりがあった。
この女は春日井郡上末村市左衛門の妹でしげといい、今年37歳。
初め山崎半九郎の妾として永らく暮らしていたが、本妻に仕え難きことがあった。
3年前清須へ嫁ぐが、また帰って来て半九のところに住んでいた。
半九の婚礼前にまた小普請原其右衛門のところへ嫁いだ。
しかし、半九が忘れられず、清須でも其右衛門のところでもこれにかわりはなく、そのため其右衛門は暇を出した。
この後、萱屋町に半九を預け置くが時々女の元へ通っていた。
女はまた時々半九のところへやって来ており、愛着の情が極まり、死のうとしたことが数度あった。
山崎氏はこの女のために金銀を大分無駄にする。
この女は助右衛門妻の従兄弟、大塩伝九郎の姪、三沢左門跡目の子と天野源之丞妻はこのしげが産んだ子であった。
しかし、どこで裕福な暮らしをしようとも、半九の厠で破れた衣を着ていることに及ばないと言っていた。
金も2、30両、衣服もたくさん持っていた。