名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-03から1日間の記事一覧

渡辺飛騨守にとってはありがたいこと

宝永2年1月30日。この日で能、芝居が終わる。巾下金ひご口の堀に京町の革屋が落ちて死んでいる。在所の桂村に行き、帰りに泥酔して落ちたと。廻文。先年、公儀では鷹を放たれたので鷹場を差し上げ、その上瑞竜院様・泰心院様も鷹を用いない申し合わせ、…

燃え移ってはいないようで一安心

宝永2年1月26日。子(午後11時)過ぎ、柳原の隼人正家来二宮半左衛門味噌部屋が消失する。

こういう話、度々登場します

宝永2年1月25日。この夜小出晦哲は出かけるが、何か胸騒ぎがして急いで帰宅する。亥刻(午後11時)、晦哲の家から誰か1人が出ていく。中門で女房が白衣に数珠をかけて出てくるところに出くわし、引き留めて中へ入って見てみると膳と椀などが打ち砕かれ…

1キロ四方の屋敷ですか

宝永2年1月21日。松軒屋敷が入札となる。四方は9町(1町は約109メートル)ほどで6万5千5百坪。惣堀の坪数は計600坪ある。

文左衛門、少しは活躍してる

宝永2年1月19日。子半(午前0時)、隼人正組岩間紋右衛門台所から火が出る。長屋と蔵のほかは道具を含めて全部消失する。この時乾(北西)の風が吹き、残り火が大田道周・嶋松右衛門のところへにわかに飛んでいく。文左衛門のところへは火の粉が飛んで…

文左衛門は出かけたのでしょうか

宝永2年1月18日。この日橘町で勧進能が行われる。太夫は小杉六郎左衛門、ワキは服部十郎左衛門・天谷新右衛門。

現状だけは最低でも維持しないと

宝永2年1月16日。近頃、成瀬内膳家老1人、用達1人、その他2人の都合4人が追放、闕所となる。松軒屋敷を差し上げた際、屋敷がはなはだ荒らされていたため。竹木なども切り払い、その他も。

ちゃんと調べたのか

宝永2年1月8日。杉村薬師寺に称入という坊主がいた。今朝、近所の者が称入の戸が朝早くから開いているのを不思議に思い、入って中を見ると称入の部屋には血が流れていた。その血は井戸まで続いていた。井戸の中には称入が落ちていた。自害して入ったのか…

こんな嘘バレるでしょ

宝永2年1月4日(ママ)。新番田嶋所右衛門僕が平岩平太夫控家(別宅)の横町で絹の頭巾をかぶっているのを目付平岩紋左衛門にとがめられる。応じて言うには自分は所右衛門にやとわれた浪人者だと。すぐに問い合わせがあり、所右衛門僕に間違いがないため…

文左衛門、離婚する

宝永2年1月7日。申(午後3時)頃、親から文左衛門が妻を離別するとの手紙を忠兵に遣わす。文左衛門は肝煎彦坂平太夫へ遣わす。

寒い時期にだから火鉢は仕方ない

宝永2年1月6日。子刻(午後11時)、東新町飯川与五右衛門本屋より火が燃え上がる。近所の者と鳥居与市がすぐに駆け付け、消し止める。召仕に病人があり、火鉢の火から燃えると。

この日は色ごとの話が多い

宝永2年1月2日。昨年、山本道伝は江戸へ下らず、その後も参上しなかった。これは本寿院様が度々艶書(恋文)を送られたため。昨年も堕胎を行っていた。以前から山本八郎左衛門姉のびくに(比丘尼)ははなはだ淫乱であった。去年も栄国寺の住持に艶書を送…

宝永2年1月の天気です

宝永2年1月1日。快晴。未(午後1時)前後、少し曇る。雪がわずかに降る。2度ほど止んでまた晴れる。宝永2年1月2日。快晴。宝永2年1月3日。快晴。宝永2年1月4日。雪が降る。昼前に止んで晴れる。夜、わずかに雪が降る。宝永2年1月5日。辰半…