名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

息子に先立たれるのは親にとって一番つらいこと

元禄12年6月8日。
公逝去の報が出雲守(松平義昌)のところへ届く。
今朝、出雲守様は早駕籠で大公の下屋敷に入られる。
御乗物に縄を付けて引いたというのは嘘であり、あまりの速さにそう言ったのであろう。
江戸からの状を市正に渡し、市正が御前に持参し、立ち入る。
大公は御覧になり、心が痛むと仰せられ、お泣きになる。
翌日には三の丸にお入りになり、長生きして恥をかいたものだと大公は仰せられる。
その方にはどう見えるのだろうか、早く帰るようにと仰せられる。
二の丸様は公の訃報を聞いて剃髪なされ、梅昌院と称せられる。
上使の前に二の丸を空けられ、早速中屋敷へ移られ、上使の後で下屋敷へ移られるはずと。