名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-09-05から1日間の記事一覧

当時としては長生きでは

元禄4年6月30日。晩5つ(午後8時)過ぎ、加藤平左衛門が黄疸を患い、79で死ぬ。

悲しい恋の結末

元禄4年6月29日頃。駿河町に石切(石材屋)の22になる子が住んでいた。禅寺町下には隠宅という医者が住んでいた。その娘はその辺りではまあまあの器量とのことであった。隠宅が死んだ後は駿河町北側の叔父七右衛門のところに娘はそこに身を寄せていた…

凄まじい雨とはこのこと

元禄4年6月23日。明け方、激しい雨が降り、その音はまるで雷にようであった。

おかしな二人組

元禄4年6月20日。近頃、高岳院横丁で鉢巻をした男2人が刀を抜いて往来の仲間・女童・町人を追いかける。そのため闇夜には人通りがまれになると。

追跡もここまでか

元禄4年6月20日。夜、大曽根で中間が酒に酔って脇差を抜き、中間らしき者を追いかけ切りつけたと番所に報せがある。追いかけると中間は筑後守(竹腰友正)中屋敷に入ったと。

若宮祭も雨にたたられる

元禄4年6月16日。祭礼が行われるが、午の刻(午前11時)より雨が降り始めて見物人はずぶ濡れとなる。草履が多く捨ててあった。

大雨の時は川に近づかない

元禄4年6月13日。夜、成田半平若党が稲生の堤で溺死する。

怖いぞ、落雷

元禄4年6月13日。大熊庄兵衛足軽が落雷かと思い戸を開ける。すると雷が頭に落ちて頭が粉々になり死んでしまう。

悪天候をついての脱走劇

元禄4年6月13日。雷の夜、松平権左衛門子源之右衛門は伯父善左衛門の牢に入っていたが、茶碗で土を掘り逃げ去る。既に職を離れていたが、御用人の言い渡しにでは死んだらまた知らせろとのことなので調べる。

いよいよ文左衛門の書いた鸚鵡籠中記の始まり、まずは雷から

元禄4年6月13日、文左衛門は佐分氏へ槍稽古に出かける。夕飯後半(1時間)過ぎると重なりあった雲が乾(北西)から湧きおこり、にわかに雨が降り始める。人々は大騒ぎし慌てて槍を片付ける。草履は手に持って濡れないようにする。大雨が降り続き、強風…