名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

小人島ってあるのか

宝永5年3月14日。
文左衛門は巳半(午前10時)から政右・市兵と野遊びをする。
大公元下屋敷の東の森号山神でまず弁当を開き、酒・肴が美味く、腹がいっぱいになる。
木ヵ崎でまた頂き、そこから東へ出て松下で休息し、その後農家に入り味噌汁を煮る。
酒や食事を頂き、とても楽しみ、とても喜ぶ。
酉(午後5時)過ぎに帰る。

磯姫様の御供をして江戸に下った小塩与五左衛門と生田貞安・加藤安悦などが戻る。

三宅備前守殿領内三州田原の海辺へ少し前に流れ寄せた船の覚え。
一 舟長さは1丈(1丈は約3メートル)2尺(1尺は約30センチ)ほど。幅は4尺ほど。外は朱塗。内は黒塗。4分(1分は約3ミリ)1(イ4方)の金物、真鍮のびょうが打ってある。もっとも人は1人もおらず。この舟のなかにあった品々。
一 1尺5、6寸の長刀1振。ただし柄とともに。
一 指し渡し2寸(1寸は約3センチ)3分ほどの甲が9。
一 小さな斧 1丁。
一 帆 (欠字)1枚。
一 金入緞子切が少々(イに少々を作る)。
一 小さな米袋3つ4つ。袋の大きさ米が1合5勺ほど入っていた。この袋の中に普通の米粒を半分に割ったほどの米がある。
一 米1斗4、5升ほど入った袋が1つ。この袋の上に弟子季中米と書付がある。
一 廻り4,5寸ほどの皿が5枚。
これは小人嶋から流れ来たものかと。
子3月13日。
文左衛門はこれを後に聞いたが真実かと。
小人嶋より来たものではなく、よくわからないことを除く。
10月末のところに記す。